「そろそろ行かねえ?復帰早々遅刻するわけにもいかねえだろ」

食堂でお茶をすする玄樹を神宮寺は促す。今日は停学が解ける日で、礼拝の前に職員室に立ち寄らなくてはならない玄樹は朝から緊張気味だった。

「うん…」

憂いをその瞳に宿しながら、玄樹は力なく頷く。不安が痛いほどに伝わってくる。

それを払拭する意味で、神宮寺は玄樹の手を握る。

「心配すんな。俺がずっと側にいるから。だから大丈夫だよ」

「うん」

少し表情が明るくなって、玄樹は立ち上がった。

職員室までの道のりで、クラスメイトの何人かが声をかけてきた。幸いなことに皆玄樹に同情的だ。そのおかげで歩を進めるにつれて玄樹の表情から硬さが抜けていく。

「さすがに職員室の中にまで付いてきてもらうわけにいかないから…ここで待ってて」

玄樹は職員室の手前で神宮寺にそう言った。頷き、数分待った後に玄樹が出てくる。また表情が硬くなってしまっている。何か言われたのか…確かに停学明けだから苦言の一つも言われただろう。

神宮寺は近くの時計を見た。815分。礼拝は25分からだから充分に間に合う。校舎を出て礼拝堂に向かおうとすると、人影が躍り出た。

「岸くん!」

「よ。二人とも元気そうで何より」

岸が片手を挙げて笑う。今の神宮寺と玄樹には何より心強い笑顔だ。玄樹もふっと笑った。

「なんだよ岸くん、勤務中に俺らにかまってて大丈夫なわけ?」

「まーそのへんは上手いこと誤魔化して…玄樹、緊張してるみたいだからウォーミングアップにここから三人で礼拝堂まで競争しよう!あったまるぞ!」

「もう…」

玄樹の不安も緊張も完全に解けている。やっぱ岸にはかなわないな…と思いながら久しぶりの三人での徒競走に、神宮寺はビリになった。玄樹が可笑しそうに笑って指差す。

「神宮寺の走り方、相変わらずだね。なんで腕がそんな上がるの」

「うっせ。無意識だよ」

「身長一番高いくせに、走るのは一番遅いんだもんなあ」

三人でじゃれ合っていると、ちょうど礼拝堂に向かって行く嶺亜が見えた。こちらには気付いていないようだ。

「嶺亜…」

神宮寺は昨日、寮の夕飯の時間に栗田の訃報を聞いた。嶺亜のことが真っ先に頭に浮かぶ。だが彼は少し遅い時間に寮に戻ってきた後、すぐに寝てしまったと颯が言っていた。彼もかける言葉が見当たらなかったらしく、沈痛な面持ちでそれを告げた。今朝も食堂で見かけて、玄樹が声をかけたが落ち込んでいると言うよりは何か違うことを考えているかのようだったがそれ以上詮索はできない。

ふと隣を見やると玄樹も同じ気持ちなのか、憂いをその瞳に宿した。

「嶺亜、大丈夫かな…今朝食堂で見た時は思ったより大丈夫そうだったけど…」

「生誕劇どころじゃねえかもな…もしもの時は玄樹が…やれるか?」

文化祭を明日に控えて、こんなことになるとは思ってもみなかった。次から次へと押し寄せる困難に、岸はどう思っているんだろうと思って彼を振り返って神宮寺は仰天する。

「岸くん…!?

玄樹も目を見開いている。それもそのはず、岸の顔が真っ赤になっていた。目はいつも以上に潤み、今にも泣き出しそうで今朝はそれなりに寒いのに汗が滲んでいた。さっき走ったせいでもなさそうだ。

「ちょ…どうしたんだよ岸くん?」

「どうしたの岸くん…真っ赤っかだけど…大丈夫?」

「へ?」

指摘されて、岸は自分の顔をぺたぺたと触って動揺する。誰の目にも明らかだったが彼は首を激しく横に振った。

「なんでもないなんでもない!急に走ったからかな…寒いし今朝はくしゃみが止まらなくて…」

そして岸は盛大にこけて顔面を強かにうちつけ、顔を押さえながらおぼつかない足取りで校舎に戻って行った。

「なあ、玄樹…岸くんなんか変じゃね?」

「うん。僕もそう思う…あんな岸くん見たの初めてかも…」

玄樹と二人で首を傾げていると予鈴が鳴って、疑問は一時的に中断される。神宮寺は玄樹と共に礼拝堂の扉を開けた。