最終日 背分神社

 

 

嶺亜は計画が失敗であることを受け入れざるを得なかった。

挙武が化け物化している時の行動をもっと研究しておくべきだった、と後悔したがもう遅い。まさか嗅覚がこれほど優れているとは思ってもみなかった。

目覚めの時間を知らせたと同時に、まず両手両足を拘束していた手錠はいともあっさりと壊された。続いて棺桶を破るまでに数秒。ドアにかけられた南京錠を壊すのにもそうかからない。

灯籠に火を灯す順番は、背分神社は6番目だから5分程度待機しなくてはならない。火を点けると、それをきっと化け物化した挙武は捉えるだろうから、すぐに逃走する必要がある。マウンテンバイクに乗りさえすれば、助かる見込みは大きい。

だがそれらは、挙武が林の中を目的なく彷徨っていてくれたらの話だ。神社を出てまっすぐこちらの灯籠に来られてはとても5分はもたない。火をつける前に見つかってしまったら何もかもおしまいだ。

目覚めた挙武は、もう嶺亜と栗田の位置を察知したかのように、真っ直ぐにこちらに歩いてくる。灯りもないのにどうして…と思ったが、嗅覚という可能性があった。

いや、それとも…

嶺亜が化け物化している挙武の動きが分かるように、あっちも嶺亜の位置を正確に把握しているのか…?

いずれにせよ、このままだと二人とも見つかる。それを察知した瞬間に二人で逃げれば良かったかもしれないが、本能的にそれは不可能であると悟った。

逃げ切ることはできない

嶺亜は直感的に確信した。二人を捉えた挙武はどこまでも追いかけてくるだろう。

自分を襲ってくれたらまだいいが、栗田が襲われると嶺亜ではどうすることもできない。大切な友人が、目の前で化け物に食われてしまう…

そんなことは絶対にさせない。栗田は絶対に守らなくてはならない。それに…

もう一つ、呪いを消す方法が民話集に書かれている。挙武はあの時、断固拒否したがもうこれしか方法がない。

自分の血を啜れば、挙武の体から呪いが消える。

そこにかけてみよう。目覚めた時、挙武は自分を死ぬほど恨むだろうが仕方がない。栗田の命と天秤にかけるわけにはいかないのだ。

嶺亜は懐中電灯を点ける。この暗闇の中でその光は瞬時に挙武に察知されるでろうことを見越して。そしてその思惑通り、ガサガサと茂みをかき分け、こちらに向かってくる気配を感じた。

「…」

その音のする方向に嶺亜は懐中電灯を当てた。

栗田を守ることができるなら、呪いを消すことができるのなら、そしてこの役目から解放されるのであれば命など惜しくはない。嶺亜の中には確固たる決意があった。

だがその不動の決意を揺るがすほどに、懐中電灯に照らされた挙武の姿はこの世のものとは思えぬおぞましい化け物と化していた。

『俺はな、23年前に見たことがあるんだ。化け物化した自分の姿をな。村の数カ所に防犯カメラを取り付けてその中の一つに見事に映ってたよ。深夜、村を徘徊する自分の姿が。言いたくはないが本当に化け物だった』

この間喧嘩になった時、彼はそう語っていた。この姿を自分だとして受けとめるのは、あまりにも酷だ。先代が絶望して自ら命を絶ったのも、もしかしたら彼もまた、どこかしらでこれを目にしたのかもしれない。

嶺亜は動けない。それは恐怖だ。だけど、逃げ出す気もなかった。

挙武の目が自分を捉えるのを嶺亜ははっきりと感じた。そこには何の感情もない、ただ本能に従って人の血を喰らい尽くす化け物…

「ごめんね、挙武」

気が付けば嶺亜はそう口にしていた。色んな感情からだった。

双子として生まれたのに、兄弟らしいことを何一つしてやれなかったこと

分かっていたのに、ずっと黙ってお互いに関わりを持たないようにしていたこと

もう少し素直になれば、もう少し仲良くなれたかもしれないこと

そして…「お前を喰い殺すくらいなら命を絶ってやる」とまで言わせたのに、結局それをさせてしまうこと

でも…

「栗ちゃんは殺させない。代わりに、僕を」

震える足が、一歩、また一歩と化け物に近づいていく。嶺亜は挙武に向かって手を差し伸べた。

もう全て終わりにしよう

生まれ変わったら、今度こそ本当の兄弟として…

けたたましいほどの咆哮を、挙武は…いや、化け物はあげた。

「さよなら」

剥き出しの牙が、嶺亜の喉を引き裂くべく迫ったその時…

「…」

「…」

無数の星が、辺りに降り注いだ。