教会の書庫は礼拝堂と嶺亜達の居住部分を繋ぐ廊下の間にある。岩橋医院のそれとは違い一応は整理されていて、書物や信者帳などが背表紙で判断できるようになっていた。

「関係ありそうなものねえ…」

書庫は狭いので、嶺亜と玄樹、そして岸くんと颯と谷村が入った。中は若干埃っぽく、普段は嶺亜も神父も入ることは稀だという。

「やっぱり、天文学に関する書物が多いね…」

玄樹が一冊一冊手に取りながら呟く。確かに、タイトルだけでもそれと分かるものが何十冊もある。岸くんは天文学は全くの専門外だから23ページめくってみても訳が分からない。これを全て頭に入れるのは弁護士並の頭脳が必要だろう。

「多分ほとんどがそうだよ。僕も何回か整理や掃除で入ることがあったけど、どれも難しそうで読もうとは思わなかったし。お父さんなら分かるんだろうけど」

嶺亜が説明した。彼は入り口に立って岸くん達が物色するのをただ見ているだけ、といったところで勝手にあれこれされないように見張っているという意味もあるのだろう。

「天文学の専門書は関係なさそうじゃない?星の動きを見て呪いの時期を当てるためのものでしょ?」

「そうだな…じゃ、こっちのこの…信者帳?みたいなものは…」

そこには村人とおぼしき人名と住所などが記されている。いつの時代からかは分からないが相当に古いものもあり、触るだけでパラパラとページが散ってしまいそうになる。

「名簿とか見ても仕方ないしなあ…」

どうやら昨日以上の収穫はなさそうに思えた。諦めモードに入っていると、それまで黙って見ていた嶺亜がどこかに行ったかと思うとすぐに戻ってきて、一冊の古びた冊子を手渡してきた。

「これ…」

それは『背分村民話集』だった。谷村が昨日小学校から持ってきてしまったものと同じものだ。谷村はそれを一応昨夜最後まで読破した。

だが手渡された民話集をパラパラめくって見た谷村は首を捻った。

「これ…ここから言語が違ってる…」

「そう。その民話集は去年たまたま背分神社で見つけたものなの。あそこには地下室があって、偶然それを発見したら変な小箱に入れられてた」

「地下室…」

「僕は小学生の頃、学校の暇な時間の時に民話集を読んでみたことがあるから気付いたんだけど、こっちの民話集には続きがあるみたいなの。でもそこから先が外国語で訳わかんなくて行き詰まってた。僕にはどこの国の言葉か分かんないし、分かったとしてもこんな田舎に辞書なんて売ってないから」

「民話集は全部で3冊あるって聞いてたけど残りの一冊が行方不明だって…嶺亜が持ってたんだ…」

玄樹はその民話集を覗き込む。

「確かに…僕たちにはどこの国の言葉かも分からないね…英語やドイツ語くらいポピュラーならともかく…これどこの国の言語だろう…」

ぱっと見ても、知っていそうなスペルはなかった。ローマ字で記されているものの、ところどころ馴染みのない発音記号のようなものもある。

「なんでそんな大昔にそんなマイナーな言語で書き記したんだろう…江戸時代ってもう鎖国解けてたっけ?

「江戸時代に記されたとは限らないんじゃないの?」

「でもそんな記述どこにもないし…」

「てかなんで一冊だけ…」

色んな憶測が飛び交う中、嶺亜は谷村に問いかけた。

「どこの言語か分かる?」

嶺亜の表情はどこか切羽詰まったものを感じさせる。谷村は数秒首を傾けていたが、何かを思い出したのかはっとした表情を見せた。

「そう言えば…」

ばたばたと谷村は書庫を飛び出して数秒の後に戻ってくる。その手には携帯電話よりも一回り大きいハンディサイズの機体が握られていた。

「何それ?」

岸くんが問うと、谷村は電子辞書だと答えた。外国語履修のために、入学祝いに購入して貰った高性能モデルで、実に31の言語が入っている。これが役に立てないか思い至った。

「これならインターネット接続ができない状況下でも使えるから…これでやってみる」

礼拝堂に戻り、谷村は電子辞書と民話集のページを開いた。

「なんだそりゃ谷村?外国語じゃねーかよ」

栗田が谷村の広げた背分村民話集を覗き込む。自分にはちんぷんかんぷんだから、すぐに興味をなくしたが嶺亜が側で見ているのが気になったようだ。

「れいあ、なんなんだよこれ?」

「…僕にもよく分からないけど、他の2冊と違ってるところと、意味ありげに背分神社の地下室に収められてたのが気になったの。地下室はまるで人目から隠すような作りだったし…」

「あんなところに地下室なんてあったとはな。俺も知らなかった」

挙武がそう言う。彼の説明によると、背分神社の中に入ることが許されるのは教会の人間と御印を持つ者だけで、後は破壊された棺桶の撤収のためと新しい棺桶の設置でその役割の人間が入るくらいだという。

勿論、村の子ども達は小さい頃から背分神社には決して立ち入ってはいけないと言い聞かされて育つし、そうでなくとも鬱蒼としたあの道に入りたいと思う者もいない。

「嶺亜、お前はいつそれに気付いたんだ?」

「去年だよ。挙武の御印が現れる少し前に神社の簡単な掃除をしとくようお父さんから言われたの。そこで変な突起物に足引っかけて転倒して…それが取れて変なくぼみが出てきたの。なんか…鍵穴みたいに見えて」

嶺亜は無意識に向こう脛のあたりをさすっていた。打撲したのはそのあたりであることを示している。

「前から神社の鍵が二種類あるのが変だな…って思ってて、使ってない方を試しに嵌めたら上手く噛み合って扉みたいに床が開いたの。開けたら階段みたいなのが現れて地下に続いてて…その先にあれが小箱に収められてた。凄く古い箱だったから、もしかしたらここに収められてから初めて手に取られたのかもしれないって思って…」

「へえ…」

「変な言語で何か記してあるのが気になって、色々ここにある書物にヒントがないか調べてみたんだけど全く分からなくて。誰か翻訳できたら何か分かるかもって思ったんだよ」

「それはそれは…ご苦労なことだ」

挙武が肩をすくめて皮肉っぽく言うと、礼拝堂のドアが静かに開く。皆がそこに視線をやると、初老の身なりのいい男性がかしこまりながら立っていた。

「挙武様、お迎えにあがりました」

どうやら羽生田家の使用人らしく、二言三言挙武と言葉を交わして傘を差し出した。教会の前には車が停められない。細い小道があるからだ。車が通れないくらいに細いが、マウンテンバイクなら十分可能だったから岸くん達は難なくたどり着いた。だが、車が乗り付けられないのは若干不便かもしれない。

「とりあえず俺は家に戻る。また明日な」

嶺亜の方は見ずに、挙武は神宮寺にそう言って礼拝堂を後にした。