「おい、いつまで拗ねてんだよ。行くぞ栗田」
嶺亜が行ってしまって、いよいよ栗田の機嫌が悪くなりだだっ子をあやすように岸くんが手を引いた。すでに谷村は八つ当たりされて尻をしこたま蹴られている。
「大人げねーなー。チョコバットやるから機嫌直せよ」
「郁、そのチョコバットのチョコ、溶けてない?この暑さで」
教会を出て、停めていたマウンテンバイクを引く。かっ飛ばしたい気分だが案内人が徒歩なのでそういう訳にもいかなかった。
かっと照りつける太陽の光が刺すように肌に降り注ぐ。昨日は夜だったから気にならなかったが、日陰がなくなかなかに辛い。最高気温は何度だろう…と岸くんは思った。
「悪いけどそのなんとかって道じゃなくてあの池のほとりまで案内してくんない?昨日暗かったし、どこをどう走ってきたか思い出せないんだよね」
岸くんは玄樹と神宮寺にそう頼んだ。車が停めてある道まで戻らないといけないから、彼らの案内する道だと帰れない。正確な位置関係は分からないが、来た方角と違ってそうに思えた。
だが玄樹は依然として怪訝な表情で答える。
「背分沼の方…?あそこに他の町に続く道なんてないよ。この村から出るには道祖神方面の道しかないから」
「けど、俺らそっちから来たんだもん」
郁がせんべいをバリバリやりながら答えるが、二人は取り合ってくれない。
「わりーけど今背分沼の方は立ち入り禁止だ。お前らホントにそこ通って来たのか?信じられねーな」
「僕たちは道祖神まで案内するよう言われてるから…」
どうしたもんか…と岸くんたちは考える。そんなところに案内されたって帰れない。けど泊まることもできない。
そうなるとやはりというか、こうなってしまった。
「とりあえず飯食えるとこ教えてくれよ。5人で今後のこと話し合うからよ」
空腹の郁の意見が通り、玄樹達の案内で村で唯一の食堂に向かうことになる。谷村のママチャリに神宮寺を、脚力に自信のある颯のマウンテンバイクに玄樹を乗せて案内してもらいながらスピーディーな移動を始めた。
「本当だ、赤い茶畑がある」
嶺亜の言うとおり、所々紅葉のように赤い畑があった。長閑な風景が広がっている至って素朴な田舎だ。舗装されたアスファルトとビル群に慣れた都会の人間にはどこか新鮮でほっとする風景だった。
そして走ること数分、若干建物の密度が濃くなってきた所に『上背分食堂』という看板が見えた。村の中心部らしく、ちらほらと店も見えるし人の行き交いも田畑よりは多い。
「これが食堂ねえ…」
外観も古びているが、中はもっと年代を感じさせる。まるで昭和時代にタイムスリップしたかのようだ。
「俺らもついでに食ってくか。久しぶりだなここに入んの」
神宮寺が玄樹にそう持ちかけて、中に一緒に入る。席数は4人がけのテーブルが3台と2人がけが2台。客は老人が一人そばをすすっているだけだった。
古めかしい内装は、現実感がなさすぎてまるでドラマのセットのように見えた。照明は控えめで若干薄暗く、色あせたポスターと変なカレンダー、そして手書きのメニュー表が無造作に貼られていた。
「上背分そばってのが気になるな…けどやっぱカツ丼…でも唐揚げも食いてー」
郁は血走った眼でメニューとにらめっこだ。岸くんはもう全身汗だくでオッサンみたくお手ふきで顔を拭いている。颯と谷村は出された麦茶を美味しそうに一気飲みした。しかし栗田は…
「俺はいらねー」
相変わらず不機嫌で椅子に社長座りしている。
「まだ膨れてんの?よっぽどあの子のことが気に入ったんだな、栗田」
顔を拭き終えた岸くんは注文を聞きに来た白髪の老婆にラーメンを頼んだ。
「でも、いい子だと思うよ。俺が今朝間違えて行った時にジュースとパンくれたし」
颯は麦茶をお代わりし、カツ丼を頼んだ。郁は迷ったあげくに上背分そばとカツ丼と唐揚げを注文し、谷村はきつねうどんを選択した。
「嶺亜がいい子だってよ、聞いたか?玄樹」
神宮寺が皮肉な笑いを漏らす。それを玄樹はたしなめた。彼らの関係性など知る由もないがなんとなく気になっていたことを岸くんはこの二人に尋ねる。
「色々気になってることあるんだけどさ…嶺亜っていう子のあの家…教会って言ってたけど何教なの?この季節に長袖の変な重々しい服も着てたし…」
玄樹は岸くんの質問に猜疑心を含んだ瞳で返す。考えてみれば自分たちは得体の知れないよそ者だ。少々いきなりすぎたかな…と反省していると代わりに神宮寺が答えた。
「この村に昔から伝わる土着信仰だよ。名前もそのまんま『背分教』っつーんだ。ここ来る時に家の前とかに変な飾り見たろ?あれは背分教のお守りみたいなもんだよ。で、あそこはその教会で嶺亜はそこの神父見習いみたいなもん。まあ、ほとんどあいつが取り仕切ってるけど」
「あ、そういえば嶺亜くん、お爺さんみたいな人のことお父さんって言ってた。どう見てもお爺さんだけど…」
「ああ、神父のじーさんにも会ってんのか。見てのとおり父親じゃねーよ、本当のな」
運ばれてきた冷やし中華をすすりながら神宮寺が答える。彼はこちらに対する警戒心が薄いのかスラスラと答えてくれるが、玄樹はずっと落ち着かない様子だ。
「なんだよどういうことだよ、れいあの本当のとーちゃんは?」
ふて腐れていた栗田がようやく起き上がって麦茶をすすりながら会話に参加する。谷村の頼んだきつねうどんに付いていた漬け物もかじっていた。
栗田のストレートな質問に、それまでよどみなく答えた神宮寺もさすがに少し歯切れが悪くなった。
「…俺が言ったって言うなよ?嶺亜は生まれてすぐあの教会の前に捨てられてたんだと。誰が産んだかは分かんねえ。産むんなら玄樹ん家の病院だけど、どこにも記録もカルテもなかったんだってさ」
どうやら玄樹の家は病院らしい。こんな田舎にも総合病院があるのだろうか。
「ふーん成程。なんかミステリアスな雰囲気がしたのはそのせいか」
颯は律儀にメモを取っていた。会報のネタ探しに来ているのだからもしかしたら後に使えるかもしれない、という意識からだろう。真面目な彼らしい。
「せっかくだからさ、この村のその土着信仰とか赤いお茶の特産品とか…そういうの取材して帰るのもいいと思うんだよね。どう?みんな」
「おお!颯おめーいいこと言うじゃねーか!そうだよな、せっかく来たんだからよ!泊まるとこなきゃ野宿でもいーんだよ。雨風さえしのげればな!あ、ばーちゃん俺もラーメン!」
俄然やる気になった栗田がでかい声で注文を通した。谷村はうどんをすすりながら「やっぱり帰れないのか…」と溜息をついた。
「野宿とか正気か…?お前たち…」
それまで一人静かにそばをすすっていた老人がこちらを振り返って訝しげな視線を向ける。
老人はまるで気が違った者を見るように岸くん達を見据える。
「この時期にここへ来て、しかも外で寝泊まりするだと…?命が惜しくないのか…?」
「へ?」
岸くん達には言われている意味が分からない。外で寝たからなんだというのだろう。お年寄りには確かに過酷かもしれないが…
「じーちゃん、コイツらはよそから来たから知らねえだけだ。そんなことさせねーように俺らが神父のじーさんから頼まれてる」
神宮寺が老人に言った。それを聞いて彼は「ああそうか」とくるりと背を向けまたそばをすすり始める。
玄樹は依然として何かに怯えたようにコップを握りしめていた。