忘れてはならないコト
皆さん、こんにちは^^&こんばんわ^^
かがみです
本当は、去年のこの日に書きたかったんだけど、機会がなく1年越しになりましたが書こうと思います。
16年前の1995年1月17日午前5時46分
神戸で今までではあり得ない大惨事が起こりました。
阪神・淡路大震災と呼ばれるこの大地震はM.7.3・最大震度7を記録したこの地震は、死者約6500名という
大惨事でした。
私、かがみが住む大阪は公式記録によると震度4なのですが、体感としては震度5以上あったといわれています。
ちなみに、りんちゃんの実家の広島・呉市は震度4だったそうです。
1995年当時かがみは20歳でした。
俺は目が覚めたのは揺れが終わってから親に叩き起こされました。
揺れてるという意識はありましたが、夢の中の出来事だと思ってました。
それから、テレビをつけると大きな地震があったという情報は入ってくるのですが、夜が明けていなかったので
詳細が分かりません。
ところが、夜が明るとともにこの地震の大きさを思い知ることになります。
神戸の町の空からの映像・・・これを初めて見たときの衝撃は今でも脳裏に焼き付いています。
冗談抜きにどこぞからミサイルで攻撃されたのではないのか?
本当にそう思いました。
神戸にゆかりがあるわけでもありませんでしたがいままで見慣れていた光景がないのです。
燃える住宅地、下層階がつぶれたビル、そして、なにより驚愕したのは、横倒しになった阪神高速・神戸線。
あの光景を見ていると、今でも復興してほぼ元通りになったのが、信じられないくらいです。
被害の概要は皆さんもご存じだと思いますのでこれくらいにして、
この地震が起こった2日前にさかのぼろうと思います。
1995年1月15日、この日はまだハッピーマンデーがなかったので、成人の日でした。
前述の通り私、かがみは20歳だったので、この日は成人式に出席しておりました。
何故か、受験生でしたが;;
この日は地元の友達、地方に就職・進学していた友達との久しぶりの再会を喜びつつ、そのまま飲み会に突入というお約束のパターンを満喫していました。
その友達の中に小学校・中・高と同じで、家も近くの今は神戸の大学に通ってて現地に下宿しているO君がいました。
その日の飲み会はいなかったのですが翌日の16日O君を含めた昨日とは違うメンバーと遊びに行きました。
彼は、その日のうちに神戸に帰る予定でした。
なんでも、午前中に用事があったみたいです。
しかし、久しぶりの再会を楽しむ我々は、
「ええやん、明日朝イチで帰ったら、なんとかなるって^^」
と、彼を引き止めました。
彼も、我々と同じ心境だったようで、
「じゃ、そうするか」
と、彼が帰れる電車がなくなる時間まで遊び、彼は実家へと帰りました。
そして、17日を迎えました。
彼は実家で何日か足止めを食らいその後下宿先に戻った時、残酷な事実を目の当たりにしたそうです。
彼の下宿先は全壊、その時にいた住民は全員亡くなったとのことでした。
それから、その時の話はしていませんので、どういう心境だったかはわかりませんが。
我々では想像もつかないくらいの心の傷を負っただろうとおもいます。
別に、我々が彼を救ったとは思ってません。単純にみんなで遊びたかった。ただそれだけなのですが、
ただ、俺らがもう少し真面目な人種だったなら、彼を帰したんだろうと・・・そう考えると今でも、体の震えが
止まらなくなります。
だけども、さまざまな偶然を重ねて今、我々は生きています。
うまく言葉に表せませんが、今生きていることは奇跡の上に成り立ってると思います。
だから、その奇跡の恩恵をわざわざ放棄してはならない・・・と
今日1月17日はそういうことを思い直す大事な日だと俺は思ってます。
最後に震災で犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りいたします。
2011年1月17日 柊★かがみ★
追記
読み返すとやはり脈絡のない文章だなぁと痛感しました。
こんな文章のお付き合い本当にありがとうございました。