創作活動を行う中で
デザインに繋がる想像物語を作成した。
デザインも、キャラクターも、物語も全て
完全オリジナル。
この創作のスタイル・物語を含め
全て気に入っている。
もっと発展させていきたいし
繋げていきたい。
ある
フィギュアから始まった
デザイン・物語
再度、ブログに
載せます。
お楽しみ下さい。
また、
チャレンジオジサンゴロー
のデザインが、新しい活動に動きだします。
只今、準備中。
少しずつ
実現に向けて
活動します。
以下、想像物語。
入団当初から、
「誰よりも練習場に早く来て、誰よりも遅く帰る。そして、練習中、誰よりも笑顔が多い」
と当時のチームメイトは話す。
彼の美学としてもっている
「笑顔を忘れずに、挑戦を続ける」
チームで、体現していた。
30歳となった、8年目のシーズンでは、ポジションをアラから、フィクソに変更。
プレースタイルも大きく変えて、新しい一面をみせる。このシーズンは、キャリアハイとなる1シーズン6得点15アシストを記録。
チームを初のリーグ優勝に導く。
40歳を過ぎても、現役を続け、チームの主軸として引き続き活躍を続ける。
また、全フィールドポジションを高い水準でこなすことができ、年齢を重ねても試合出場数は減らなかった。
しかし、
45歳の時に、慢性的なヒザの痛みにより、引退を決断。
1年間、放浪の旅に出る。日本全国、アジア、ヨーロッパを旅する。
47歳、F2リーグに降格したチームの建て直しを図るため、ヘッドコーチとしてチームに戻る。
翌年、体調不良の為退任を余儀なくされた監督に代わり、ゴローが監督に就任。
「笑顔を忘れずに、挑戦を続ける」をコンセプトにチーム全体の建て直しをはかる。
監督就任1年目から、F2リーグ優勝を達成。
Fリーグ昇格1年目は、リーグ5位。
2年目には、Fリーグ優勝を果たす。
翌年も、優勝し、リーグ連覇を達成。
この快挙を放って置かなかった協会サイドから、フットサル日本代表監督、就任への打診がある。
しかし、その打診を断り、監督業、引退を宣言する。
彼が、選んだ仕事は、
アイスの移動販売。
自由にいきる
彼の旅は続く
「笑顔を忘れずに、挑戦を続ける」