専門職としてのGM職を新設し、その権限・役割・責任を明確に定義せよ | Peanuts & Crackerjack

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Dedicated to the Saitama Seibu Lions organization and its players, baseball itself, and those who want to know what counts most in a given situation you are in and to make right decisions in a confident manner everytime. May the 'dose of luck' be with you!




【序章】


わたしたちの住むここ日本では、決断を下せないリーダーに対する不信感
そしてそれと軌を同じくして現場指揮官の素晴らしい英断に対する称賛という対比の図式が

それこそ戦前、いやそれ以前の昔からよくみられる象徴的な光景です。

わかりやすく例えて言うならば、福島の原子力発電所所長の英断と
おろおろアタフタしていた菅首相をはじめとする政府首脳、
原子力○○委員会など当該担当部署責任者、そして東京電力経営陣。

-現場はよくやっているよ。あんなにどうしようもないリーダーのもとだけれども。-

さてさて、それではここで問いかけたいのは

-現場さえしっかりやっていれば、これからもリーダーが決断を下せなくとも
 様々な不満は抱きつつも私たちは現場レベルでなんとか自分たちの生活を構築していくことができ
 自分たちの所属する社会共同体を維持し、また改善していけるのか-


ということ。

答えは、明確に"NO"です。

この典型的な日本的組織の限界は第二次世界大戦時において

満場一致根回しといった、権限・役割・責任を曖昧のまま据え置く原則のもと
明確な指示を、決断を下せずにいた中央政府に対して

軍部、それも関東軍という現場がその置かれた立場、状況に即して最適な行動をとろうと
現場の理論(いわゆるセクショナリズム)でもって中央政府を無視して暴走した例に
明確にあらわれています。

つまりは、“現場の人間の素晴らしい行動”に甘えるかのように賞賛し続け
素晴らしいリーダーをいかにして数多く輩出していくか、という課題に対し
現場が優秀だからまあいいか、とかニヒリズム的にどうせムリだから、と嘲笑するなど
いつまでも無関心でいつづけたりすることは決して私たちにとって得策ではないということです。

ここでもうひとつ考えてほしいのは、

-もしあなたがそういった典型的な日本的組織のトップに立ったとして
 あなたならすぐに見違えるように有効な、素晴らしい英断を次々と下せるだろうか-


つまり、

-そもそもトップの個々人の資質をうんぬんするのは正解ではなくて
 どんなに“現場”でずば抜けて優秀だった人材をトップに据えたところで
 基本的にその能力を遺憾なく発揮することを大きく妨げるような組織の構造的欠陥にこそ
 私たちは最優先に着目し、自分たち自身の問題として改善していくべきではないか-


ということです。

① 組織における様々なミッションを明確にし整理し、優先順位をつける

② そのミッションごとに役職を作り、与える役割を明確に提示し
  優先順位に応じた権限と責任を明確に提示する
  (※方針と方針が衝突する場合は上位のミッションに携わる役職の人間の決定が優先される)

③ 役職ごとの役割、組織における重要性(上下関係を明確にする)、そして携わる権限と責任の範囲を
  当該組織内だけでの了解事項とせず、公開すること


組織を自由に操ることが可能で、そしてその能力のある創業者でもない限り
これくらいはクリアにしなければどんなに優秀な人間が責任ある役職に就いたところで
おそらく目を見張るような素晴らしい業績を挙げていくことは非常に困難でしょう。

そして、この典型的に日本的なリーダー選出は
今まで述べてきたように突出して素晴らしいリーダーを輩出することを大きく妨げる反面、

逆に言えば数多くの人間を塗炭の苦しみに追いやるような
こちらも“極端に突出した個人”を排除してきたという一面もあり

だからこそ曖昧模糊とした組織の生温い胎内で毒にも薬にもならない人材を据え続けようとも
相当な危機が訪れない限り“現場の献身的な努力”でカヴァーできる
(そして大体はその危機の進行・表面化をうまく遅らせ抑えることができる)ため

致命的な欠陥があっても長きにわたり様々なところで採用され続けると言えます。

このように、トップの権限・役割・責任を明確に定義せず
組織の浮沈は現場の人間の過剰な努力次第、
というのは
業界を問わずわたしたちの作る組織の典型であるといえます。


【本章】


さて、前置きが長くなりましたがライオンズに話を戻します。

今のライオンズを改善していこうとすれば
早急に球団経営陣による大胆な外科手術が必要なのですが

そのためには

① 目の前の1ゲームの勝利を獲得すべく限られた資源の中で戦術・采配に従事する
  field manager(=監督)

② 5年、10年スパンでチームを安定的に優勝争いに導くべくチームの長期的な戦略を立案し
  それに基づき選手の獲得・トレード・解雇など編成を行い、時には起用方法等にも制限をかける
  General Manager(GM)

③ チームの勝利に頼ることなく球場(=ballpark)をベースに
  魅力的な“場”を提供することに全力を注ぎ
  多くの顧客を安定的に獲得していくことをミッションとする球団経営陣


本来このくらい権限・役割・責任がきっちり明確に分けられ
その優先順位(つまり上下関係。当然③>②>①)が明確に定義されているべきです。

ただ、今は残念ながらそこまでハッキリと構成されていない組織で

前田球団本部長にしても本来のGMばりの強い権限を明確に与えられているわけでもなく
また同じように明確な、ある意味厳しい責任追求がなされるわけでもないため

おそらく誰もが最後の最後まで自分の責任で変革の決断を遂行しようとはしないでしょう。

最も避けるべきは、しかし典型的な日本的組織がよく執る手段は

動かず決断のできないトップに焦れ、現場指揮官である渡辺監督が
自ら憔悴しきった顔で涙ながらに辞任を表明したり、休養という名の曖昧な処置に落ち着くこと。

これでは、また“現場”が過剰に努力し組織のために犠牲になったということで
つまりはいわゆる“トカゲのしっぽ切り”でトップは何ものをもここから学ぶことなく
またほとぼりが冷め忘れたころに同じ失敗を繰り返すだけになってしまう。


【結章】


ですから、今私が提言できることといえば

① 現場指揮官である首脳陣は上層部からの明確な指示がない限り
  どんなに手厳しい、時にはいわれのない非難を浴びせられようとも
  選手たちと同じように最後の瞬間まで常に目の前の1勝を獲得することだけに集中せよ

② 球団経営陣は“球団本部長”という曖昧な権限・役割・責任の“GMに似せた”職ではなく
  明確な“専門職”としての“GM職”を新設し、そこに明確な権限・役割・責任を与えよ


この2つです。

現場指揮官の献身的な忠誠におんぶにだっこの組織構成を改め
その構成を明確な権限・役割・責任と共に組み立てなおしてほしい。

球団経営陣もチームの勝利に関係なく魅力あふれる“場”を作ることで
顧客を獲得することが本来の仕事なのです。

組織内の役割分担を明確にしないまま現場指揮官たる監督に、そして選手たちに頼りきりでは
結局今のような危機が訪れたときに危機管理を含めすべての矛先が球団経営陣に向くだけなのですから

自分の携わる本来のしごとに集中するためにも
早くGM職を作ることをオススメしたいですね。

最後に、MLBはRed SoxのGM、Theo Epsteinの語る
GM(Theo Epstein)と監督(Terry Francona。ここではTitoと呼ばれています)の役割、
そして視点の違いについてのコメントを引用してこの記事を締めくくりたいと思います。

"Communication is different in the clubhouse than it is in a boardroom.
The heartbeat that exists in the clubhouse …
you don't find that same type of heartbeat in the front office.
There is a cloak of intensity in the clubhouse that doesn't exist here,"

the general manager points out.

"There is a little more objectivity here in this office.
We see the game at 10,000 feet. Tito sees it 50 feet away.
Tito is looking at tonight's game and
those of us in baseball ops(※注:operations), a lot of the time,
are looking at the next five years."

"His job is clear: Win tonight's game. That's his focus.
Ours is that, as well, but the focus is also on the years ahead.
That's the inherent conflict between the two jobs, his and mine.
It's the subjective versus the objective."

--- Tito and Theo  by Mike Barnicle on Grantland ---