<Part1:「もしドラ」の“ノーボール作戦”イノヴェーションはどうすれば実践可能か>
・・・ある高校野球部の“マネージャー”をひきうけることにした女子高校生、みなみ。
まずは“マネージャー”の事を理解しようと書店へ“マネージメント”の本を探しにいき
店員に薦められるままにDruckerの"Management"を購入することにします。
ところが、その本は実は起業家や経営者のための本だった事を知り
みなみは「確認してから買うんだった!」と後悔するのですが
せっかく高いお金を出して買ったことだしと気を取り直し
とりあえず参考程度に読み進める事にします。
しかしその途中、「マネージメントに必要な唯一の資質は真摯さ」ということばに感銘を受け
夢中で読み進め、その後彼女はこの本の内容の多くを自らの野球部の組織作りに
どんどんと取り入れ、応用し実践していくことになる・・・。
これは小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の
導入部のあらすじですが
この小説をひとことでカンタンに凝縮するならば、“野球業界”を“野球セクション”ととらえ
-“セクショナリズム”に立ち向かい挑戦していく“イノヴェーション”の実践の軌跡-
こう言えるのではないかと思います。
【“もしドラ”の描く、最大のイノヴェーションとは】
上の小説には様々な大きな“イノヴェーション-革新”が発現していきますが
その中でも最初にして最大の革新-つまりもたらした“新しい価値創造”-は
和製英語といっていい“女子マネージャー”というコトバのぼんやりとあいまいに、慣習的に定義する役割を
偶然の出会い、そしてちょっとした勘違いをきっかけとして
その語源である"manager"の定義する役割へと明確に置き換え、更にはそれを貫き続けたこと。
実際、ひとりの女子高校生が既存の慣習的な“マネージャー”の役割を飛び出し
自らの役割を"manager"として自ら定義しなおして様々な行動をとり実践していくことは
それこそが最も野球部、もっと言うならば“野球業界”に対するとてつもなく大きな挑戦であり
本来その挑戦、それも特に実践の段階ですさまじい有形無形の反発、妨害があって当然で
それでも変わらずに実践を貫くためには、並はずれた“真摯さ”、
つまり頑固なまでに変わらぬ強い意志と
それをどんな時や状況でも変わらずに支え続けるデータなどの論拠、
そして確固たる論理的思考が必須であるものです。
【“野球業界”、それは最も“セクショナリズム”の支配する世界のひとつ】
そのあたりの実際の軋轢こそがイノヴェーションをおこそうとする者にとって
最大の難所であり、また最大のハイライト、力の発揮しどころであるものですが
小説の中ではイノヴェーションの“内容”を描き、紹介し世に問うところが主眼であって
当然のことながらそのあたりの実際おこりえると予測できる経緯は
残念ながらその主筋を際立たせるために敢えてバッサリと思いきって省略されています。
試しに、小説の中でイノヴェーションの最大の例として描かれている
「ノーバント・ノーボール作戦」について特に野球経験者は考えてみてください。
同い年、もしくは自分より年少の野球をプレイした経験のない女性“マネージャー”が
自分の所属する野球部で「犠牲バントはしない」「ボール球を打たせる投球もしない」などと
Druckerの"Management"を片手にチームの方針をうちだし、それを実践していこうとしたら
自分ならどう反応するか。
野球を実際に経験したことのない素人が何を言うか、
それはビジネスの世界でのお話であって野球、それも高校野球の世界にとっては
まったく応用できないものだ、お門違いも甚だしいと歯牙にもかけないでしょうし
もし仮にそれが指導者、つまり監督(=権限を持つ正規の"manager")に採用されたとしても
よほど選手一人ひとりがしっかりと問題意識を共有し
“真摯さ”をもってその方針を自分のこととして受け止めない限り
まったく理解できずに迷い混乱するばかりで、そんな状態でゲームに臨んだとしても
目の前の“打たれたくない”“抑えられたくない”“負けたくない”という現実と
チーム方針という理想とのギャップに苦しみ
中途半端な投球や打撃を繰り返すだけに終わり
まず自分たちの満足する“結果”を出すことなんてできずじまいでしょう。
そして結局やっぱり思った通り素人がアタマでっかちでひねりだしたものなんて役に立つわけがないとか
あの監督は野球の“現場”を何もわかってないだとか、また更には
監督とその“マネージャー”との間には特定の“人間関係”があるのではないかという曲解、風説まで出てきて
かえって野球部という組織が崩壊し、イノヴェーションの旗手であった人物がその組織を去らざるをえず
結局は元の木阿弥、後釜にこれまでの“慣習”に沿った“常識的な”指導者を迎え
組織はこれまでと変わらずに平和に安全運転、というのも当然予想できる未来のひとつでしょう。
それほど、多くのひとが長年にわたって関わり延々と築きあげてきた“慣習”というものは
外部からのアプローチ、そしてイノヴェーションに対して固く門を閉ざし、厳しい試練を与えるものです。
【“ストライク・ゾーンで勝負すること”、それは“ノーボール作戦”】
さて、私は今ライオンズが目指し、渡辺監督が口を酸っぱくして言い続けている
“ストライク・ゾーンで勝負すること”とは、この小説で言う“ノーボール作戦”と
同じ概念だと評価しております。
どちらも“ストライク・ゾーンからボールへと変化していく投球を極力排除していく”というものであり
そのコンセプトはこれまでNPBで、そしてその影響下にある“日本野球業界”で長きにわたって常識として扱われ
絶対的な慣習として広まり、その上で様々な細かい技術的戦術が幾重にもわたって積み重ねられている、
そんないわば“野球業界の本丸”といっていい概念に真っ向から対立するものです。
当然、生半可な覚悟ではまず思ったような結果を残し、積み重ねていくことはできず
実践していこうとした指導者自体が早々に業界から大きな批判を浴び、
まるで裏切り者かの如くその業界から干され、追放されることになるでしょう。
では、実際このボール球を排除し、ストライク・ゾーンで勝負するということは
どうやっても不可能なものなのでしょうか。
・・・いや、実はそれは問いかけがそもそも間違っているのです。
否定されるかたの多くはおそらく“100%”ストライク・ゾーンなんて
経験則上絶対にあり得ない、非現実的だという意見なのでしょうが
・・・なぜいきなりイノヴェーションにおいて“100%の転換”が必要なのでしょうか。
問いかけは本来、
-実際このボール球を極力減らし、ストライク・ゾーンで勝負するということは
どうすれば可能に近づいていくものなのでしょうか-
であるべきもの。
海の向こう、Philadelphiaでは4月30日、Philliesの本拠地、Citizens Bank Parkで
Philliesのエース、"Doc"ことRoy HalladayがNew York Metsを相手に
9回を投げて被安打7・与四球1・奪三振8、失点1の完投でシーズン4勝目をあげましたが
107球を投げてストライクが80球と約75%(つまり3/4)を占め、
またゲームスタートから18球連続でストライクを続け、初めてボールのコールを受けたのが3回2アウトだったという
素晴らしい内容の投球を魅せてくれるものでした。
(※このゲームのBoxScoreはこちら)
このHalladayの投球はストライク・ゾーンの中で制球よく、緩急を駆使しながら
ボールを動かして打者と勝負し、球数少なくイニングをどんどん消化し
そしてなおかつ勝利をも手に入れたまさにお手本のような例ですが
コレはMLBだから可能なことであってNPBでは非常に困難なものなのでしょうか。
次回の連載では、それを考察していくにあたり
まずはなぜNPBではボールの投球で勝負することが圧倒的主流を占めるようになったのか、
その現状を正確に把握するためにNPBの野球の歴史を私なりに大雑把に、簡単に
順を追って振り返っていきたいと思います。
(※次回連載は5月24日火曜日を予定しております)