「彼が話かけてくれなかったら、私の中学生活ってすこし違っていたかもしれない……」そう話す美和ちゃんを私は少し羨ましく思った。
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2004年12月05日(日) 昨夜、渋谷の駅前で千夏と別れた後、私と美和ちゃんはスペイン坂にある「bar 人間関係」で軽い夕食を取ることにした。
スペイン坂にあるこの店は、3年ほど前、知り合ったばかりの千夏が私を連れて来てくれた店だ。外見も中も家のような不思議な建物で、ほの暗く少し入り組んだ造りになっている。特に店の奥にあるテーブル席を私はとても気に入っている。味の出た木のテーブルを挟んで温もりのある照明に包まれていると、心の奥にしまっていた言葉もつい口にしてしまう。ここで私と千夏は、互いにとって欠かせない友人になった。以来、私も自分にとって大切な人を連れて来る……、というより招待するような気持ちで訪れる場所になっている。
「ここのスコーンとてもおいしいのよ」
むかし千夏がそうしたように、店に入ると私は何種類ものスコーンやパンの並んだケースを指してそう言った。
ビールを傍らに、フィッシュアンドチップスを食べながら、昨日途切れてしまった美和ちゃんの恋愛話を聞いた。
「彼は中学3年の時の同級生なんだけど、このあいだ地方に行ってる友達が戻ってきた時に、久しぶりにみんなで会ったの。それで、それからまた集まったりするようになって。
その頃、二学期の席替えの時に、私たち初めて隣同士になったんだけど、私はそのころ男の子たちから避けられるというか、気が強かったから、あまり話しかけられることがなかったのね。だけど、彼は違って平気で話しかけてきて……」
美和ちゃんの話だと、その彼、武藤くんは、無視を続ける美和ちゃんを笑わそうと、あらゆる手を繰り出して来たらしい。
「おとなしい人だと思ってたのに、実はよくしゃべるの。ある日、授業中になんの話だったか忘れちゃったけど、ついに笑ってしまって、それで、武藤くんとは話すようになったんだ。このあいだ彼に、最初は私の足元に消しゴム落としても、拾ってもくれないで、ずーっと黒板のほう見てたとか言われて……。今考えると自分でも可愛くないなーって思う」
なつかしそうにそう言うと、美和ちゃんは照れ臭そうにして笑った。
それから美和ちゃんは男の子とも少しずつ話せるようになり、女の子だけじゃなく、男の子の友達もたくさんできたようだ。
空になったグラスをさわりながら、美和ちゃんは武藤くんとの思い出をいくつか話してくれた。文化祭で「孫悟空」の劇をやった時には、三蔵法師役の武藤くんが、役作りのために坊主頭になったそうだ。美和ちゃんは、短くなった彼の頭の感触にハマッてしまい、毎日のようになでてしまったらしい。
「郁生さんとは、いい感じだと思うんだけどな」
武藤くんの話の後、 美和ちゃんは私に言った。
「そうかなあ、まぁ、幼なじみだからね。母親同士が仲良くて、家族ぐるみで出掛けたりしてたから。お互いに付き合ってきた人とかも知ってるしね。それに私自身、ようやく前の恋愛の整理がついてきた感じだもの」
私はそう言ってビールを口にした。
「ふーん、恋愛対象って感じではないのかな。郁生さんて彼女いるの?」
「今は、いないんじゃないかな。郁生のこと、むかし好きだったことはあるけど……」
「えーっ、いつ?」
「子供の時よ、小学生とか」
「誰か、いいなって思う人とかはいるの?」
「うーん、なんて言うのかなぁ……。私、今は自分に関心があるみたいなの。デザインの実力も上げたいし。いい人が現われたら、それはそれで嬉しいけど。今は、自分や仕事の方を大切にしてるかな」
新しい恋をしたいと思うけれど、一歩踏み出さないのは何故だろう。自分が傷つくという恐れだろうか。……それだけでもない。終わった恋は、もう私を悲しませる記憶ではなくなっている。次に誰かに恋するときには、求めたり、求められたりするだけでなく、一人で時間を過ごすことも平気な自分でいたいと思っている。私は、そんな自分の目標とする女性になりたいんだなと思う。私の生活の中に、誰かと過ごす時間が生まれるのは素敵なことだと思うけれど。
サンタクロースには手先の器用な人や、デザインやアートの分野で活躍している人が多い。私も小さな頃からモノを作ることが好きで、手先も器用だという自覚はある。けれど、そうした能力も自分で伸ばさなければ成長もしない。血筋によってなったサンタクロースとしての自分も、ソリを駆って空を飛ぶ能力もたまたま私に備わっていた能力だ。
大人になって、あたりまえのようにサンタクロースになった自分や、ふだんのデザインという仕事がなんなのか、今、私は自分なりに納得したいのだと思う。
自分が何をしたいのか迷う時期は過ぎている。自分探しという言葉で表現するのは、少しちがう気がする。私は自分の確信を持って、次の一歩を踏み出したいのだ。私が今、佐藤さんやクリエイターの思想に惹かれるのは、彼らの考えを吸収しながら、デザインやサンタクロースの仕事について自分なりの思想を持ちたいと思うからだ。それを言葉に出来たとき、新しい恋にも、好きな人にも向き合える気がする。佐藤さんになりたいわけではない、佐藤さんとは違うオリジナリティの獲得が、今の私が本当に求めていることだ。
「あーあ、料理どうしようかなぁ……」
すこし会話が途切れた後、 急にぐにゃりと肩を落として美和ちゃんが言った。
「料理?」
「今度クリスマスパーティするって話したでしょ?料理を持ち寄ることになってるんだけど、私そんなにレパートリーないのだなあ……」
すこし考えて、私はひらめいた案を口にした。
「キッチン展で開く料理教室に出てみれば?」
「え、いいんですか?」
「アルバイトとしてではなくて、学生として一般参加したら?」
「うーん、できるかなぁ」
「香奈子さんに聞いてみようよ」
すぐに香奈子さんに連絡を取ると「OK」との返事だった。19日のカップルで作るイタリア料理の回にまだ余裕があるという。
パートナーはとりあえず後で見つけることにして、美和ちゃんは、その料理教室に参加することになった。
「私、武藤くんにお礼がしたいの。彼が話かけてくれなかったら、私の中学生活ってすこし違っていたかもしれないもの」
そう言って恥ずかしそうに笑う美和ちゃんを、私は少し羨ましく思った。
香奈子さんは、志穂さんと彩の3人で「クリスマスキッチン展」の会場にいるという。3人は交代で、何回か開かれる料理教室で司会と同時にシェフやパティシエの助手もするので、週末を使って密かに予行演習をしていたらしい。
「こっちに帰ってくるなら寄らない?ちょっと張り切りすぎて、お料理たくさんつくっちゃったのよ」
とつぜんの香奈子さんの誘いに「行きます!」とふたつ返事で答え、それからすぐに私たちは店を出てサンタクロースセンターに向った。
「クリスマスキッチン展」のフロアーは、照明が落とされ、間接照明になっていた。テーブルの上にはキャンドルが灯され、卓上の小さなクリスマスツリーを照らしている。 今日は昨日と違って落ち着いた雰囲気だ。オーブンを使った魚のホイル焼きや、サラダにペンネ、トマトと煮込んだミートボールもある。
リビングキッチンは全て電気を使うビルトインタイプのオーブンにIHコンロが使われている。3人とも、家ではガスタイプのキッチンだったので、操作に慣れるためにいろいろ作ってしまったそうだ。
軽く夕食を済ませていたにもかかわらず、「おいしい」と何度も言いながら、モリモリ食べ、ワインも多めに飲んでしまった。
志穂さんのスピーカーが付けられたi-podからakikoの歌声が流れている。私も好きな「Mood Indigo」という曲。こんな広いフロアーで聴くのは初めてのことだ。ゆったりとしたベースとピアノにサックスが心地よく響く。akikoのことは、志穂さんが私に教えてくれた。
曲が「I MISS YOU」に変わった頃、なんだかちょっと切なくなった。郁生は今日も工房にいるんだろうか。ふと、そんなことを思った。akikoの歌声は、とても優しく私の心に届く。
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【リンク】
アーティスト: akiko
タイトル:
ムード・インディゴ 01. Theme For Mood Indigo
02. Straight No Chaser
03. In The Afternoon
04. So Tired
05. Far Beyond
06. I Love You
07. He Knows Everything
08. Mood Indigo
09. I Miss You
10. Little B's Poem
11. We Three