この二日間、ビデオレンタルで「レッドクリフ」の、前編後編の二巻をつづけて鑑賞した。

いつもなら、どんな名作でも一週間かけて少しづつ、暇な時間をつぶして一本観るのですが、この各2時間物の作品は、一気に魅入ってしまった。

今朝の半覚醒時に、なぜこんな事になってしまったのか、思いを廻らせた。

この映画どんなところに心が惹き付けられ、魅入っていたのだろうか、それは何だろうと、想いが離れなかった。


1-中国の戦国時代の勇猛果敢な迫力ある戦記であり、史実である事

2-諸葛孔明という軍師の聡明さが魅了であった事。

3-ドラマに貫かれている武人の生き様が、魂に響からである事。


総評としてドラマの展開が、策略的であったり、裏切りであったり、奇襲的であったり、兵法や風水が出て来たり、非常に変化に富んだ場面構成となっている。

そしてその中で繰り広げられる、武人としての活き様が、特に魅了的であり感動したのです。


例え朋友であっても、ひとたび敵味方に分かれてたら、その場合は正々堂々と刃をまじえる武人としての責務

主君に仕えては、人道にもとる事さえ、主君の命に従い尽くす忠誠心

義理と仁義の、身を引き裂かれんばかりの苦悩の選択。

これらは正に人情を越えた、永遠なる魂としてのあるべき活き方を諭している。


この映画を、二時間も一気に観ていられたのは、バガヴァット・ギーターに出て来る、クルクシェートラクの戦場で最高神クリシュナが、戦士アルジュナに諭した、永遠不滅の真理が散りばめられているからだと理解した。

それは私の魂が、人間としてなすべき責務の真理に触れ、歓んでいたからなのでしょう。

これはどうも、しばらくは中国の三国志にはまりそうである。


バール・クリシュナ・フミオ