2003年、いろんな事情で家出をして、名古屋、豊橋、静岡、川崎と開催中の競輪場を辿りながら東京に向かっていて。東京には1995年だっけか2000年まで居た事が有って、再度職を求めて・・・という感じで。その時、住所は国分寺、最寄り駅は国立という所に居て、立川や川崎には行った事は有った。だから、12月になってからは立川の漫喫で寝てた。11月までは外で寝てて、その事件が有ったのは11月に入った頃か?確か翌週にGIが有った時で、川崎競輪でやられた後、バスロータリーのベンチで寝ようかな?と思ってた頃、ホストにしては冴えない若い男に声掛けられて、寝るだけでもウチに来ない?って。所持金も底を突きかけてたし、さすがに外で寝るには寒くなり始めてて、日銭に繋がる様な事にでも繋がれば・・・と付いて行ったのが運の尽き。組事務所に軟禁される羽目に。部屋には軟禁されている何人かに、見せしめで脱走にしくじって、肩関節が変なくっつき方してるヤツとゲームやり放題を条件に1階に居座って監視している未成年に見える風体の男2人。肩関節が変なヤツの姿を見るだけで、脱走する意思を削がれる上に、ゲームやり放題のガキ。ゲームやりたいが為に忠誠を尽くす異常さ。幸い持ち物を取り上げられず手元に置く事は出来たけど、タイヤも外れた廃車が家の前に有って、他の住人の荷物は取り上げられてる状態。軟禁なので当然外を出歩けないが、仕事も無いので1日テレビを視てる日々。現金を使う事も無いので、暫くこの状態でも良いか?いや、こんな事してられない!とはいえ、住所と名前をノートに書かされたりして(正直に書いたかどうか覚えてないが)身動き取れず。脱走するタイミングを見計らって。何日かした時、組長の家の掃除という事でジャージに着替えさせられて。自分の服は、ホームレスなのでリュックに納まる程度で、一度監視付きでコインランドリーに行かせて貰ってて、その時にも脱走のチャンスを伺ってはいたが。で、組長の家に行く訳だが、思うほど大きな家でもないのに、大の大人が数十人レベルで。軟禁されている間に知った情報では、川崎の歓楽街を仕切ってる5つの組の大親分の家という事で。バスロータリーで声を掛けられた時に、頭数(あたまかず)が必要なので協力してくれたら、今晩寝泊まりしてって、という話だったから、この事か?と。組毎に名前呼ばれて、何人構成員が居るかを大親分に報告し、その後に大掃除。先に書いたけど、そんなに広くない家に40〜50人居たら、する事なんて無くて。とはいえ居る人間は組員だから、ボーッとしてる訳にもいかず。とはいえする事も無いし、脱走出来るか様子を伺いながら。車で送られててるので、近くに赤い電車、遠くにも高架の上を走る電車。どの辺りに居て川崎の組事務所までの道は?ここで脱走するのは得策ではないな、と。組事務所に戻って、今晩は組事務所の方で、組長の酒盛りらしいわ。最終的にこの酒盛り中に脱走を試みる訳だが、失敗に終わって。まぁ、この件も過去に書いたかもしれないけど、今日重要なのは、大親分の家で見た景色。それが23年後の昨日の景色と重なるっていう奇跡的な話。大親分の家はマンションに変わってしまったけど、既に当時は田辺一鶴の様な風貌で、当然23年も生きてやしないだろう。言葉を交わす事も無かったけど、コーヒーのロング缶が好きだったらしくて、冷蔵庫にはCMの様に、ジョージアのロング缶が何十本も!わたしと好みが被る事に勝手に親近感が湧いてた。脱走に失敗しながら、今ここに居るのは、ある意味成功した訳だけど、一歩間違えば、コンクリート詰めで海に沈んでるかも、指詰めに有っているかも、同じ軟禁から脱走に失敗して肩関節折れたまま放置されて、変なくっつき方してたかもしれない。命有ってこそ。