私の海外渡航歴6-1 三度目のフリィピン 前編  | 30年目のバリクバヤン 

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

1977.07.31~1978.08.05

渡航先:フリィピン 一人旅


前回のお正月に帰国後、月1回のペースで文通を行い、

徐々に自分の気持ちを打ち明けて行った。

彼女は、割と醒めていて私の好意を冗談だと思い、

中々信じてもらえない。


私の会社は、正月・ゴールデンウィーク・年末年始と年3回の

長期休暇(5日~7日程度)があるので、次の機会は、

5月の連休であり、私は彼女に5月に再訪する旨伝えた。

どういう理由か覚えていないが、やんわり断られた。

(帰郷か仕事が忙しい)


なお、文通を重ね、次は夏休みに行く旨を伝えたが、なんとなくはっきりしない返事。

そこで私は、彼女に会えなくても渡航する。電話だけでも良い。彼女が無理なら前回一緒に来た、ビボップと会いたい。

(もちろん、ビボップを通じて彼女の近況を探るため)


こうして、3回目の渡航は、彼女に会える可能性が低い中、

マニラに向かうことになる。


この時の私の心境はお金と時間は幾ら費やしても構わない、彼女を失いたくないという一点のみ、結果として振られても、他人からみて失笑されてもやれることはやった上で、

後で後悔しないよう全力で直球勝負という気持ちだけです。

当時、私は27歳。若いから出来たと思います。この真剣さが

後日彼女に通じたと確信しています。まだまだ、紆余曲折が待っています。