私たちのような国際結婚したものにとって避けて通れないテーマに
「戸籍・国籍・帰化」の問題があり、また「ビザ」の問題があります。
始めにお断りしておきますが、この文章の中に「差別表現・人権問題」
に抵触する表現があるかもしれません。また、気分を害する方が
いるかも知れませんが、私は自身の考えを述べさせていただきます。
結婚する時、我々夫婦は、お互い好きで一緒になったので、この先
どうなろうと自分たちで責任を取ることが出来るが、二人の間に生まれた
子供たちについては、いろいろ考えなくてはいけないと思った。
実際、1978年に結婚する時に細かいことは、考えず子供が生まれるとき、
また出生届けを出したあとで気がつき、考えさせらる事が多かった。
まず概念的に、今でこそ「ハーフ」という言葉が定着し、「ハーフ」が社会的に
認知され、そんなに悪いイメージではない。私は1950年生まれのため、
「ハーフ」というより「混血」というイメージが強く、その言葉はマイナスの
イメージがあった。なんとか、それによる差別を子供が受けないように
してあげたいと考えた。現在、私の二人の子供は、33歳の長女と30歳の
長男がおり、今にして思えばそれらの心配は、杞憂であった。
前述に記載してあるが、マニラの日本大使館に我々の婚姻届を提出し
3ヶ月ほどして確認のため、戸籍謄本を取得してみた。そこには、妻の
戸籍は載ってなく私の記事欄に婚姻の事実が記載されているだけだった。
(こうなることも当時は理解していなかった)
長女が産まれ出生届けを提出後、再度確認のため戸籍謄本を取得して
確認した。子供の名前・成年月日・続き柄・父母の名前がチャント記載
されていたが、妻の名前はカタカナで苗字は、私の苗字ではなくフリィピン
人としての名前であった。日本人なら母の氏名欄は下の名前だけが
記載される。例「花子」など、我々の場合「マリア・イシドロ」と記載。
(これも私の記憶であり、間違っているかも知れない。当時の謄本も
保管していたが、妻が帰化して数年後、廃棄した)
私は、この謄本で将来、子供達が就職・結婚時に肩身の狭い思いを
させては申し訳ないと思い、この時から妻の帰化の問題を妻と
真剣に話しあうことになった。 途中ですが次回に続きます。