市役所の窓口の掲示に関して、誰からも異議はなく我々は結婚する
ことに障害はなくなった。
1978年7月31日PM7:00 ビラク教会に行く、私以外に現地の子供を
含め総勢4名が今夜キリスト教の洗礼を受ける。
モリナ神父の祈り・賛美歌に続き、額を聖水で濡らしてもらい、聖なる
パンの欠片を口に入れてくれる。水にビックリして泣き出す子もいる。
(大抵は、数ヶ月~3歳程度の幼児が多い)
私の番になると、神父は小さい声で「よくがんばった、明日は結婚式」
という意味の言葉を囁いてくれた。
本来は、この日も洗礼の祝宴があるのだが、明日の婚礼を控え、
今夜は省略になり、明日に備え早めに就寝。
翌8月1日、結婚式も18時スタート(昼は暑いので夜なのか?)。
親族が全員揃う。(私の親族は、事前の話し合いで参列なし)
式が始まる、進行は全て現地のビコール語で行われるが、事前に
神父が英語で段取りを説明してくれ、ところどころで私が戸惑うと
小声でサポートしてくれた。詳細は覚えていないが、指輪の交換、
古銭を数枚私から彼女の手に落とす(将来お金に困らないという意味)
ひざまづく私たちの首にそれぞれにロープを掛ける。(別れないため)
誓いの言葉を述べる。実際は神父さんの言葉(問いかけに)「YES」と
2・3回答えるのみ。言葉の内容は、この先永遠に、貧しい時も富める時も
変わらず愛しあうか?など
最後に、それぞれが書類にサイン・神父さんがサイン・立会人がサインし
無事1時間弱で終了
終了後、近くのレストランで祝宴。着席で食事をし、飲みながらそれぞれが
会話。日本と違い、司会や挨拶も一切なし。我々の席に来てプレゼントを
呉れる人、語り掛ける人、思い思い過ごすのがフリィピン流。
席も我々以外は自由席で100席。勝手に食べて勝手に引き上げる。
空いた席に後から来た人が座って食事をする。このやり方も悪くないと
思った。 つづく