一定の間隔で高度が下がる度に

心臓がぞくっとする


着陸体制に入った機内では

エキゾチックなバティック柄の制服に

身を包んだアジアンビューティーなCA達が

客席を回っている。


夜通しのフライトで

ほとんど寝られなかったぼぉっとした目で

私は彼女達の美しい身体の曲線を追う


艶のある黒髪を夜会巻きに結い上げた首筋と

キュンと上がったヒップのラインは

惚れ惚れするほどエロティックな弧を描いている。



毎回 帰国便のフライトは

旅の終わりを告げる虚無感と

見慣れた景色を暫くぶりに

目にする安心感とで

ひどくエキセントリックな気持ちになる。


けれど

3回目のバリ島からの帰国は

それまでとは全く違った気持ちでいた。


バリ島に行くことが必然になる人生にする!

ことを決意していたからだ。


エキセントリックなんて

どこかに吹っ飛び

目標に向けて

さぁ何からやろうかという

高揚感しかなかった


興奮冷めやらぬ間に

帰国してから周りの友達に

そのことを話しまくっていたと思う…多分。


そうしたら


「私の友達のお父さんがバリ好きで

 しょっちゅうバリに行ってるし

 家も向こうにあるらしいよ」


という強力な情報が降ってきた。

なんと!そーら来た。

またもや引き寄せの法則現るだ。

こうなったら良いなぁって思うことが

よく現実化するのだ私は。


早速そのお友達のお友達のお父様に

お会いする手筈を整えてもらう。


我が家から車で10分もかからないところに

そのお宅はあった。


玄関の階段の上に

一目でそれとわかる

バリ絵画が飾ってある家だった。


招き入れられた奥の部屋で

私はその時

まだ漠然とした自分の夢を

滔々と語ったに違いない


細かいことは憶えていないけど

それを聞いて

そのじーちゃんが

(友達もみんなそのお父様のことをそう呼んでおられたので以下愛を込めてじーちゃんと呼ばせていただく)

年に4回ほど渡バリされていること

向こうに知り合いがたくさんいること

家があるのは、バリ島ではなく

お隣のジャワ島であること

そして

私がしようとしていることを

スムーズにやるには

何より言葉が重要であることを教えてくれた。



雑貨の仕入れをするにも

観光地であるバリ島では

もちろん英語は通じるけれど

現地語でコミュニケーションを取ることが

何よりも現地の人の心を開き

交渉もスムーズにいくのだよ

ということを強く私に訴えてこられた。


ふむふむそれその理屈よくわかる

けど

そもそもバリって何語なん???


それすら曖昧だった私は

そのじーちゃんから

バリ島はインドネシア共和国の

バリ州であり

現地人同士は

現地語のバリ語で話すけど

国としての共通語はインドネシア語であること。

そして

バリ語とインドネシア語は全く違うことを

私に教えてくれた。


へー

じゃあ、どっちの言葉を覚えたらいいんですか?

そもそもそのマイナー言語を教えてくれる人は

岡山にいるんですか?


と聞いた私に

岡山には

「インドネシア友好協会」

なる団体があること

そしてその団体が主催する

インドネシア語講座が

岡山駅近くの国際交流センターで

毎週土曜日に開かれていることを

教えてくれた

講師は

岡山大学に留学しているインドネシア人

ということだった。


ラッキー!

国際交流センターなら

我が家からすぐだし

土曜日なら子供を旦那さんに預けて

出かけられる!


旦那さんの許可をもらう前から

もう行くことを決めて

本屋へ向かった私 笑




そういう経緯で

バリ島に関わる扉が開かれ始めた

あの夏真っ盛りの暑い日

私は37歳の誕生日を迎えたばかりで

若くもないけど

中年と言うほどでもない

微妙な歳だった


そこから店を開くまでの10年の

最初の一歩が

インドネシア語習得で

(未だにカタコトなイネ語ではあるけれど)

新しい課題に向けて

心意気だけは

18歳の少女のように

キラキラと煌めくお目目で

毎週講座に通う日々が

始まったのである。





次に続く