こんにちは。

読みに来てくださってありがとうございます。

私にとっては初めての長い一時帰国が終わり

ようやくバリ島に戻って来ました。


今回は日本で過ごした

認知症の母との2人暮しについて

描いてみました。

ではでは🤗


父が亡くなったので

6年ぶりに日本へ帰国した私。

私の滞在先は

一人暮らしをしている母の小さなアパート。


いつも母のお世話をしている姉からの事前情報では

30分前のことも覚えていなくて

かなり進行しているとのこと。


アルツハイマー型認知症を発症した母と私の

90日間の二人暮らしがはじまりました。

私が日本へ着いたのは

父が亡くなって1週間経ったあとだったので

はじめの頃は母は父のことを話をしていましたが

しばらくすると話しをしなくなりました。

まず私は母へのリサーチからスタート。



私は日本のテレビ番組を見るのは久しぶりなので
楽しく母と一緒にテレビを見ていると
たまにビックリすることを言ってきます。
認知症なので仕方ないのですが
その人がテレビに出るたびに毎回毎回
同じことを言ってきます。
大好きな美空ひばりの曲を聞く時もそう。

時系列はメチャクチャだし
かなり妄想が入っているので驚くばかりですが
過去の記憶を自分の都合の良いように
自由自在に書き換えられるのは
ある意味幸せなことで
母の脳をうらやましいとさえ思えます😅

ただ
母が認知症というのは分かっているけれど
毎回毎回とんでもないことを言うので
そんな母に対して
私も大人の対応が出来ない時だってあります。
でもそんな時は自分も無理せず
逆に認知症の「どうせ忘れちゃう」を利用して
対応をすることにしました。


「どうせ忘れちゃう」母なのですが
負の感情はどこかで覚えているようで
「私の反応•1」のド直球をやってしまうと
怒った内容は忘れていても
イヤな感情はどこかで覚えているようで
不機嫌でいるこが多いということが分かったので
この手はあまり使わないことにしました😅
負の感情って恐ろしいですね💦

父と母はとっくの昔に離婚はしていたのですが
同じ敷地内にある
別々のアパートで暮らしていたご近所さん。
「腐れ縁」ですね。

父のアパートの契約が7月いっぱいだったので
7月は父のアパートの片付けにおわれる日々。
父のところも母のアパート同様に物だらけ。
(父のところを物だらけにした犯人は母)

一人で片付けをしていて亡き父の気配を感じた時は
「もうこれもそれもあれも捨てちゃうよ」と
いちおう断りを入れながら
どんどん片付けを進めスッカラカンにしました。

私が住まわせて貰っていた母のアパートは
昔、母がお風呂場を物置き部屋にしちゃったので
お風呂はありません。
今どき珍しい風呂無し物件。
そのため7月は
私は市民プールへ行ったり友達の家や姉の家で
時々シャワーをさせて貰ったりしていました。

そんな風呂無し生活にまだ慣れていない7月中旬
「棚からぼた餅」ような嬉しいお話を頂き
急遽、鹿児島へ行くことになった私は
一週間ホテル滞在という至福の日々を過ごせました。
毎日お風呂に入れる有り難さ。
毎日ベッドで眠れる有り難さ。
毎日ものがない部屋に一人でいられる有り難さ。
毎日美味しいものが食べられる有り難さ。
毎日ゴミについての勉強ができる有り難さ。
神様から頂いた素晴らしいご褒美が
私にとって大きな活力となり
そのあとの日々を頑張ることが出来ました。


8月は父の法要を行いつつ
次なるターゲットは母のアパートの片付け。

物に対しての執着が凄い母のアパートの片付けは
一筋縄ではいかず結構たいへんだったので
8月は母とケンカをすることも多々ありました。

でも認知症の進行具合を考えると
比較的近い将来
施設でお世話になる日が訪れる
ということを考えれば
今の私に出来ることは
「母のアパートの片付けをする」ことでした。

いづれこのアパートを開け渡す時には
私は日本にいないので
少しでもその時の姉の負担が軽くなるように
今、私が母の家の片付けをすると言うのが
自分に課したミッションのひとつでもありました。

お陰でだいぶ家らしくスッキリしたので
物がぎっしりあった元お風呂場だった場所は
私の寝床&引きこもりスペースとなりました。

物凄い暑かった8月は
ほぼ毎日のように
姉の家でシャワーをさせて貰っていたので
有り難さ反面、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


徐々に物が減り
風通しが良くなりきれいになった部屋は
どんどんエネルギーも良くなっていきました。

ただ一方で
片付けをすることで
母とはギクシャクすることも多かったこの頃
私に対しての反応が
どうもへんだということに気付きました。
嫌がっていたのは確かなんですが
なんだかよそよそしい•••。


母と四六時中一緒にいると
「あぁ今日は脳の記憶の部分に雲がかかってるな」
「今日はあまり雲がかかっていないな」とかが
顔を見ると分かるようになっていきました。

でもまさか私を
「知り合い」と認識していたというのには
驚きましたが
遅かれ早かれ
母の記憶の中に私の存在は消えてなくなります。
それもかなり近いうちに。

でも逆に「知り合い」という
今の自分の立ち位置が分かったことで
私は母に対してイラッとすることが激減しました。


9月は姉だけではなく友達や甥っ子の家でも
シャワーをさせて貰うようになりました。

ある日
母と相変わらず一緒にテレビを見ていたら
また新たな発見がありました。
昔は演歌以外の曲は"ガチャガチャして嫌い"
と言っていたのに
CDTVを見ているんです。
しかも「みんながはまった沼ソング特集」を
とっても楽しんで見ていたのには驚きました。

こんな感じで
どんどん変化し続ける認知症の母ですが
もう一緒に昔話しをすることは出来ません。

母自身も思い出せないことや
今まで当たり前に出来ていたことが
出来なくなっていく自分の身体に
もどかしさを感じながら
今をたんたんと静かに生きています。

そんな母とも
「もう会えなくなるんだな」と思うと
とても切なくなりました。

私はもう当分
日本へは帰って来ることはないでしょう。
もしかすると私が次に日本へ行く時は
母が亡くなった時になるかもしれません。

9月に入り
母の認知症のレベルが上がったという通知を受け
少し先の見通しが明るくなり
ようやく母との生活にも慣れて
仲良く暮らせるようになった頃
タイムリミットが来て私はバリ島へ戻り
そして母は
また今までと同じ独り暮らしに戻りました。

父が亡くなったことで
母との貴重な時間を過ごすことが出来
自分自身を見つめることが出来た90日間でした。
全てのことをやってくれている姉(次女)に感謝です。

最後まで読んでくださって
ありがとうございました😊💕✨

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