今回の大震災について、人と語ったり頭の中で何か考える際、なにかと引き合いに使うことの多い阪神淡路大震災。

しかし、どんなに気をつけていても阪神の次に大賞典と口をついて出てしまう自分・・・・・って
どうなの?

義援金の為、あるいは復興支援の為、至る所で盛んに募金活動が行われている。


それは絶対にあって然るべき行動だ。


さすがのクズ人間の自分も、脳天気にギャンブルなどに大金を使う気にはなれず、

出し処をよく見極めた上で、ある程度の額を募金に協力するつもりでいる。



が、アスリート・スポーツ選手や芸能人・著名人の募金活動がメディアに取り上げられるたびに

ちょっとした疑問が涌いてくる。

彼等自身は募金活動以外に自らの懐を痛めて収入に見合った寄付をしているのだろうか?


人の財布を突っつくのは極めて下品な行為だとは思うが、億のギャラを稼ぐ人が10万・20万程度の寄付しかせず、後は募金活動に参加して低所得の庶民に金をせびり、「自分にできることを精一杯する」などとは絶対言って欲しくない。

まさか、募金活動と練習・試合が終わった後でクラブに飲みに行って豪遊、なんて輩はいないと思うが、

自分も含めて、楽しみをひとつくらい我慢して被災者に協力する、くらいのことはすべきではないか。


こういうことを言うと必ず、「綺麗事を言っても所詮人ごとだろう?」と言う人がいる。

どちらかといえば自分もそのくちなのだが、「ひとごと」だからこそ、敢えて意思を働かせなければならないと思うのだ。

自分の近しい人達に被害が及んでいれば、誰に言われなくとも勝手に体も心も動くはず。

しかし、自分と直接的な関わりが薄ければ薄いほど想像力を働かせて思いを寄せなければいけない、と、今回はしみじみ感じている。




自分にできること。


我々庶民には募金かボランティアくらいしか思い当たらないが、著名人であればその幅はもっと広いはずだ。

試合をしたり楽しい芝居を見せて被災者の心を癒すのも結構、募金活動に精を出すのも立派なことではある。

だが、たとえばスポーツ界が、芸能界が、一丸となってユニオンのようなものを組み、政治・政策に口を出して援助や復興がよりスムースに運ぶシステムができるように積極的に関与していくとかいったこともできるのではないか。

そんな大きな旗を振るリーダーは出て来ないものか。

そんなことまで期待してしまうほど、今回の危機は色々な意味で後まで続く憂慮すべき事態だと思う。



皆さん無事でしょうか?

幸い、自分の周囲の知る人々は、直接やメール、ブログなどで多くの人の無事が確認できて一安心・・・。

しかし、「幸い」とか「一安心」なんて言葉を使うのが憚られるほどの甚大な被害には、只々胸が痛むばかりです。
自分も恐ろしい思いをしたとはいえ、実際に実害を被った人達の悲しみや、今も直面している苦労は計り知れないものがあると実感しています。

それにしても、今回の大地震に関する報道では、津波の被害と原発の危機に割かれる時間が多く、地震そのものについて語られることが少ないのが、いささか不安を募らせます。

余震に注意、とは言っていますが、実際には震源をあちこちに変えて大規模な地震が頻発しているわけで、地下プレートが影響しあっているのは素人目にも想像に難くないと思われるからです。

本震を上回る余震は無いだろうと高をくくっていたら、関東直下や東海地震にみまわれて、今回を遥かに凌ぐ揺れの直接被害に遭うのではないかと、戦々恐々としているのが正直なところ。
なぜなら、直下型の場合は今回のように安全確保の為の時間的猶予など与えず、いきなりドカンとやられ、手も足も出せないだろうと想像されるからです。
それは、阪神淡路の時の家屋倒壊や高速道路の崩壊の惨状を見れば明らかで、マグニチュードだけでは計れない、沖合いを震源としたものとは違う直下型の恐ろしさを感じさせます。

多少大きな横揺れには慣れ始めてきた自分。
しかし、時折り感じる、下からズンと突き上げられる揺れには「ついに来たか」と敏感に飛び起きてしまう自分。

周りの人々の心配をするでもなく、自分には被害が及ぶことはないとでも言いたげに自信満々に振る舞う人をよそに、人一倍臆病者で自己防衛本能の強い自分は、まだまだ心から安心しては眠れない夜を過ごすことになりそうです。

それにつけても、携帯の電池が寿命でブログアップも滞り、この機にスマートフォンに乗り換えたはいいが操作がままならず、やっと通話と簡単なメールのやり取りができるようになって、さあ、ブログもそろそろ、と思った矢先の最初の記事がこんな内容になるとは・・・。

皆さん、「忘れた頃が危ない」を心の片隅に置き、不意を突かれることのないように、お互い細心の注意を払って危機を乗り越えましょう。

おっと、また揺れが・・・!