父の肺がんの治療法として、父は抗がん剤を選択した。
しかし、抗がん剤はれっきとした”毒”であることを目の当たりにした。
抗がん剤は、治すための薬というよりも、毒を毒で制するから、いい細胞まで死んでしまう。
そんな実感だった。
吐いたりして水分が抜け、血液中のナトリウム量(塩分量)が急激低下した。
・便失禁をした。
・自分の誕生日がわからなくなった。
・孫の人数がわからなくなった。
ナトリウムを接種して回復し、少し元気になった。
果たして抗がん剤は必要だったのだろうか。
私の実家はとても田舎で、癌になると、県立病院か終末医療の2択になる。
これがどういう意味かというと、
県立病院では、標準治療を受けない限り、病院でお世話になることはできない。
標準治療とはつまり、
〇抗がん剤
〇放射線治療
〇手術
高齢者は、体力がないと手術を受けられないので、実質2択。
終末医療はただ死を待つだけ。
父の抗がん剤治療は、あまりにも副作用がひどくて、1回した以降何もすることはできなかった。
そのあと、下痢もとまらなくなったため、大腸カメラなどいろいろな検査を受けされられた。
正直、若手研修医の実験台だった。
最終的には、吐血がとまらなくなり、救急車を呼び、そのまま入院して出血多量による心不全により1週間で他界した。
ちなみに、県立病院の医者からは、吐血しても救急車は呼ぶなということだ。
「吐血して意識がなくなってから救急車をよんでください」とのこと。
抗がん剤の副作用がひどかったので、これ以上標準治療が進められない(つまり実験ができない)とわかると、病院では受け入れはしない。
吐血した際に病院に連絡をし救急車をよんでいいかを確認したら、看護師さんに「よんでください」と言われたので、よんだ。
病院に到着すると、
「あなたの命よりも大切な命があるので、よばないでください」と若手研修医に怒鳴られた。
これが、田舎の県立病院の実態である。
もちろん、癌になったのは紛れもなく、生活習慣の悪さによるものだ。
そして実験台にもならないとわかると簡単に見捨てられるのだ。
それが実態である。
そもそも病院に頼りすぎる考え方も危険であるとさとった。
自分の身は自分で守る。
家族のことは自分で守る。
これをぜったいに忘れてはいけないと強く思った。