インドの風、バーラサイババのBLESSINGS

インドの風、バーラサイババのBLESSINGS

インド生活15年。愛情いっぱい、厳しいけどお茶目なバーラサイババのところで医療・教育ボランティアに携わる半インド人化した日本人の非凡な生体験を随時、日本の皆さんにお届けします。

Amebaでブログを始めよう!
`彼女は才能のあるの北インドの伝統舞踊カタックのプロの舞踊家でもあります。夜の文化プログラムでは、仲間たちと共に魅惑的なヒンドゥーの神話に基づく を踊ってくれましたよ


 
 
 
 

お約束していたお話です

 

ある日のことです。ババはこういう言葉から始めました。

バーラサイババ
「私が如才なく、幸せでいなさい!幸せに神に達しなさい!と言う時は、気をつけなければなりません。大きな危険が潜んでいます。霊的な道は、まるで剣の刃の上を歩くのと同じです。滑ったら、足に怪我をしたり、下に落ちてしまいます。

動物がそうしているように、ただ単に人生を楽しんで送り、神のことを忘れるなら、みなさんは目的地、真の自由に辿り着くことはできません。ですから、自分の行為の動機について特に気を配って、よく考える必要があります」

 

今思うと、怖いなぁと思うことがいくつか思い出されます。まさに、動物のような人生を送っている人に、「幸せでいなさい、でも、神を忘れてはなりません」と言っていたときのことを。その人たちが、後にどんな運命になったか・・・。長年ちゃん具体的ドバイス もらっていたのに、とても残念です。その話は今、ここではしません。

すみません、それから別の話がしばらく続いた後、いよいよ前回の話題、死ぬ瞬間の思いについて話し始めました。

 

ババ「(だいぶ略後)
すべての欲望、すべての思いつき、すべての望みが次の誕生の『種』となります。ポジティブな願望でさえも、次の誕生をみなさんに与えます。

たとえば、ある特定の人を、緊急に助けてあげたいと思うとします。それが、あなたの死の最後の瞬間の思いだとしたら、確実にまた生まれてしまいます。一生をかけて、その人を助けるために再び生まれ、そのことで悲痛な体験をするでしょう。もし、その特定の人物がすでに神のところへ行ってしまい戻って来ない人だったら、あなたは何かを失った感覚で一生を送ります。永遠に続く切望にあなたは囚われます。あなたは、何を切望しているのか自分でよくわかりません。理由のわからない悲嘆と、絶望があなたの思考に大きく育ちます。

 

最後の瞬間に、神のことを想える生き方をするほうが良いのです。みなさんがするすべてのことは、もっぱら自分自身のためです。あらゆる努力は自分のためのものです。神は何も得ず、何も失いません。神はすべてであり、すべてを所有しているのに、何を得たり失ったりするというのでしょう?みなさんだけが、何かを得たり、失ったりします。神に対する無関心さと、無知によって、すでに所有しているものを失います。

(略)

自分の身体を気遣い、十分な食事を与え、健康管理をしなさい。肉体が健康である状態は、神を知ることに必要な条件です。もし、身体が弱っていて、病気で、どこもかしこも痛みを感じるなら、そのことだけに集中して、神のことなど想えません。座って少し黙想するだけでも、健康な身体が必要です。ですから、よく食べて、身体を清潔に保ちなさい」

 

以前、震災前の2010年秋頃にご紹介した、警官のフランツが来ていたときのババの言葉を覚えているでしょうか

ヨーロッパでは、光を食べて生きる行が流行っているという話です。ババは、そんな必要はない。日に、二度か三度ちゃんと食べなさい。神から与えられたものを幸せに食べなさい。よく寝て、よく食べ、幸せでいなさい。というようなことを言っていましたね。この日は、流行のスピリチュアル
いくつか取り上げられ、すべて役に立たないとばっさり切られていました。

 

私は、その後も、とある国の神父をしていた人から次のような話を聞きました。
本当に今のスピリチュアル系の人たちの思考回路は理解できませんが、その光の食の行を行なって、なんと、餓死している人がけっこういるそうです
今の時代にです! 高額なセミナー料金を払っているのに、死ぬとは・・・という話をしました。光で生きるために習っているのにです!なんて愚かなんでしょう。

私は、実際に100万円近いそういうセミナーに参加していた大勢の西洋人を知っています。みなさん、呆れて言葉も出ないと思いますが、本当のことなのです。ババも私たちも、スピリチュアル系の方々のことは患者として扱っています。

 

数年前から、まさに、光を食べているという人がよくやって来るようになりました。その他のことでも、頭の中は妄想だらけでした。その人は、何も食べない代わりに、水を一日に10リットルも飲んでいました仰天ですインドでも、自国でも10リットルの水を飲んでいます。インドで飲み水がどれだけ高額でどれだけ貴重であるか・・・


その人は、ババに何度か親切にアドバイスをもらってやっと普通に食事をとるようになったのです。4年くらいかかりました。何故、普通に生きることを拒むのか、聖人のようになりたがるのかスピリチュアルに入れ込んでいる方々のことはまったく理解できません(・_・;)


ババは言います。「聖人になる必要はありません。普通でいなさい」

インドの人たちを見習って欲しいです。彼らは、普通に生き、勉強し、働き、家庭を持ち、若くても老いても神のことを絶対に忘れない、神に祈り感謝する毎日を送っています
インド人は人生の達人だといつも思うのです

今日は真面目モードでいきたいと思います。本当は、最近開くと必ず見て笑っている、お気に入りのアメブロの「人気の大喜利」の話もしたくてたまらないのですが・・・

ついていけないほどユニークなインドの人たち

外側からは想像できないかもしれませんが、彼らは子供の頃から英知に恵まれているすごい人たちです。

一ヶ月ほど前に、ババがこう言っていました。「インドでは売春婦たちでも神に祈っているのです」と!売春を賞賛しているのではありません。性をビジネスにすることは罪とババは言っています。そうではなく、インドの人たちはみな神を大切にしているということです。

ある時、私たちはババと一緒に西洋人とインドの人たちと一緒に話をしていました。ババは、インドの聖典バガヴァッド・ギータについて話をしていました。人は小さな願い事を叶えたり、利益を得るために、それぞれの役割を担っている小さな神々に祈るようなことしかしていないと、クリシュナ神が指摘したことをとりあげていました。人はもっと、人生の大いなる目的のために神とつながっているべきですと言いました。

バガヴァッド・ギータはインドの重要な聖典です。叙事詩というふうにも呼ばれていますが、クリシュナ神が従兄弟のアルジュナに、神と人生について教えた英知の記録です。日本語にも訳されているようです。私は現地で発行されているものを数冊読んでいますが、日本語でお勧めできるものはわかりません。

ババはこういうふうに言っています。いろいろな本を読んでも無意味です。真理について何も知らない人が本を書いたり、他人のものをただ写しているものも多く出ています。どれが本当の情報かもわかりません。読むならバガヴァッド・ギータを読みなさい、と。
そして、こうも言っています。
何千冊の本を読んでも神に達することはできません。

日本や西洋のスピリチュアル系の本は妄想とでたらめが9割以上を占めています。それらは、無価値であるだけでなく人の精神に有害で、多くが妄想を誘発させます。インドでは、それらの本に載っている話題がとりあげられることは基本的にありません。ババのところでもそうです。外国人が質問したときに、ババが答えることがあるくらいです。健全なインドの人々が絶対にしない質問をするのは、いつも外国人のスピリチュアル系の人たちです。
悲しい現実です

さて、何故、インドの人は子供に神の名前をつけるのか、という話は、インドでは人は生まれ変わるという考えが当たり前だからです。それらは、あらゆる聖典に記され、古代の聖者たち、神と言われる人々から、太古の昔から教えられてきた当たり前の知識なのです。

不運なことに、日本では、真理も英知も知らない人々によって、生まれ変わりについて、過去や未来の人生を知るというような、不必要な形で軽々しく語られています
そのような無益な目的のために高額な料金まで支払う人がいて、ビジネスにまでなっているものですから、日本では一般的にそれさえもデタラメと思われている始末です。
しかし、今の、いい加減な流行のスピリチュアルが誕生するから、私たちの国でも輪廻転生という言葉は昔から仏教思想のひとつとして知られていました。言うまでもなく、仏教はインドから来たものです。

本題に戻りますが、バガヴァッド・ギータにも生まれ変わりについていくらか言及されています。そのことを思い出したのか、インド人のSさんが、ババとみんなの前でこう言いました。

インド人のSさん
私たちが死を迎えるとき、一番最後に考えたことが、私たちの次の(人)生を決めます。ババは世界平和会議の時に、何度か、このことに関する話を人々の前でされたことがありました。

・・・ある実業家が、息子たちに神の名前をつけました。世俗の一時的なものに囲まれながらも、神のことをいつも覚えていたいと考えたからです。
あと数時間でこの世を去ることを知った時、実業家は息子たちを枕元に呼びました。しかし、息子たちがベッドの周りに集まってきたのを見て、まず思いをはせたのは仕事のことでした。そして、『ラーマ、店はちゃんと閉めてきたのか?』と尋ねました。それが最後の言葉となってしまい、息をひきとったのでした。その思いは世俗的なものでした。もっとも重要な瞬間に、実業家の思いは神のところにはなかったのです」


それを聞いていたババが話し始めました。

バーラサイババ
「インドで、私たちが子供たちに神の名前をつける理由はなんでしょう?何千という人たちが、神の名前で呼ばれています。一方、他の国では石や花の名前をつけたりしています。
人間は、気持ちや感情にあふれている生き物です。今の時代、私たちの人生の問題を上手に解決する能力が十分にありません。仕事や睡眠、食べること、家族生活、テレビを見ることばかりであくせくし、それらに一日24時間要求されます。母親と娘が同じ通りに住んでいながら、半年に一度しか会わないという状況です。特別の目的のために、特別な時間を設けることなどできません。
自分のすべての時間を世俗のことだけに費やすなら、霊的なことのために使われる時間はどこに残っていますか?私たちは神のことを想う時間さえないのです。

(中略)

貴重な人生の時間、神への道を知るために費やされるべき時間を、ただ寝て過ごすなら、再誕してしまいます。世俗的人生は、
ジャングルのようです。 茂みに隠れている虎があなたを殺してしまいます。
世俗の人生で幸せでありなさい!しかし、決して人生の目的を忘れてはなりません。
私たちに道を示してくれた古代の聖者や賢者たちはどんなに賢明であったことでしょう!・・・(略)」


この日の話はまだ続きましたが、今は必要ないと思うのでここで終わりにしたいと思います。
私たちの死の最後の瞬間に考えたことが、どんなふうに影響するか、次回、別の日のババのメッセージからある例をご紹介したいと思います
インドはすごい国ですユニークだし、面白いし、ついていけないところもいろいろある不思議な国です。
自分でもよくこんなすごいところに18年もいると感心しています。
冗談抜きで、よく生きているなと、自分でも呆れるくらいなんです

小さな声でこっそり言うと、インドにビジネスを進出させようと考えている方は多いようですが、インド人と日本人が一緒に仕事をすることはとてもできないと思います。メンタリティーが違いすぎて、痛く苦労することになります。修行(苦行)だと思って臨むなら、
です

ところで、神様ごとでは、インドが世界一でしょう。
誰もが自由に、健全に神様と家族のように仲良く付き合っている、しかも、他人の信仰を認める心の広い人たちは他にいなさそうです。

名前まで神様とおんなじです


美と富の女神ラクシュミの名前をもっている女性は、山ほどいます。
古代の神の化身のラーマとかクリシュナ、シヴァ神の別称、チャンドラシェーカラさんとか、シャンカラさんとかも多いです。ヴィシュヌの化身の名前であるナラシムハさん、ガネーシャ神の別称のガナパティさん。
シヴァ・パールヴァティという三大神のカップルの名前をそのまま持つ女性もいます。

それに、御三家のサイババからとってサイの名前を前や後ろにつけている人は無数にいます。男女問わず。
たとえば、女性だとサイ・ラクシュミさんとか、男性だとヴィクラム・サイとか。
そのままサイババという名前の人もいます。
私たちの脳みそではインドの人たちのことは決して理解できないかもしれません・・・。

けっこう前のことです。
近くの通りを歩いていたら、中年の女性が「サイババーっ」ヽ(`Д´)ノと怒鳴っていました。思わず振り返ると、小学校5、6年生くらいの男の子に呼びかけていたことがわかりました。その子がサイババという名前だったのです。同じ通りに、シルディ・サイババのお寺とバーラサイババのお寺が並んですぐ近くに立っているのですが、そんなことなんか全然気にしません。
神様に悪いんじゃ・・・とか、考えません(;´▽`A``

現に、バーラサイババのところでは、バーラサイと子供につけている人がけっこういて、ババの前で普通に大声で「バーラサイ」と呼んだりしているのです。

つまり、インドでは神様や聖者の名前を子供につけるのは普通すぎる、当たり前のことなんですね。 

それにはちゃんとした理由がありました。

つづく