インドの風、バーラサイババのBLESSINGS -2ページ目

インドの風、バーラサイババのBLESSINGS

インド生活15年。愛情いっぱい、厳しいけどお茶目なバーラサイババのところで医療・教育ボランティアに携わる半インド人化した日本人の非凡な生体験を随時、日本の皆さんにお届けします。

ドイツ語だった部分を追加したので、既読された方はメッセージの部分をお読みくださいませ (インド時間 午後9:20, 4月23日)

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先週の金曜日がGOOD FRIDAY、そしてこの前の日曜日がイースターのお祭りでした。どちらもキリスト教のお祭りでした。
GOOD FRIDAYはイエスが亡くなった日、イースターはイエスが復活した日で、復活祭と日本では呼ばれている気がします。
いい加減

人のエゴと無知のせいでイエスは殺され、死んでしまったのに、何故GOOD FRIDAYと呼ばれるのだろうと、不快に思ってしまったのですが・・・。考えないことにします。もし、思い出したら、西洋人に聞いてみたいと思います。

日曜日の夕刻に、何人かの人が自国から持ってきたイースターのお菓子
をババに捧げて、祝福をいただいたあと、チャイと一緒に美味しくいただきました。インドでは、寺院の神や聖者の前にお菓子や果物を捧げる習慣があります。そして、祝福を得た物として、みんなで分け合うのです。インド人がよく寺院に持ってくるラッドゥーという丸い甘いお菓子が代表的な捧げもののひとつです。

ババは少しだけ冗談を言ってから、「イースターとは何ですか?」 と西洋人たちに質問しました。知っているのに質問するのです。時には、子供が知っているようなことも聞いて、何も知らない無邪気な小さな子供のように振舞うこともあるのです。本物の聖人に会う機会がなければ、想像も出来ないことだと思います。ババの神聖さは純粋であり、善であり、謙虚さであり、全知であり、分け隔てのない愛と、寛大さと同情です。過去18年間、ババからは少しも人間くさい感情や欲というものを感じたことがないのです。だから、人間だと感じたことが今までに一度もありません。ただの一瞬もです。冗談を言い、共に食事をしたり、歌を歌ったりしている間でさえも。

このような人は日本にも西洋の国にも絶対にいないと思います。見たことがありません。たいてい人は、自分が何でも知っているように振舞うことをより好むものです。特に、スピリチュアル系のみなさんがそうです。彼らはババから少しずつ、厳しいエゴ崩しの治療を受けることになります。
それに、言うまでもなく、「記憶にございません」とか「知りません」という官僚たちの態度とはまったく異なりますね

しかし、私たちは毎日の経験から、ババが何でも知っていることをよく知っています。部屋で考えていたこと、たった今考えたこと、自分の国でしていたこと、すべてをみんなの前で話すことは普通です。よく、面白おかしく話すので、冗談かと思っていたら、話題にされた本人の態度を見れば本当だったのかと、すぐに解釈できます。とても恥ずかしいことも詳細に公開されてしまいます。それは、みんなのことを教育する方法のひとつだからです。みんな気をつけるようになりますから、非常に効果的です
そして、これが私たちにとっては当たり前のことなのです。私たちは麻痺していますが、実はそれ自体が不思議のひとつでもあります。

さて、本題に戻ります。イースターはイエスが亡くなってから三日後に復活した日を祝うことだと誰かが答えました。すると、ババが短く次のように話しました。

ババ「何故、イエス・キリストは地上にやって来たのでしょうか。それは、自分の義務を果たすためでした。彼の義務は神のメッセージを人々に伝えることでした。自分の命さえも犠牲にしたのです。
同じように、私たちも何故生まれたのか、考えなくてはなりません。イエスとは異なりますが、人はそれぞれ、自分の義務、自分の人生の使命は何かを知り、それを果たす生き方をすべきです」
イエスは、死に埋葬されました。そして、三日後に復活しました。死は無知を象徴し、復活は英知を象徴します。私たちは無知から抜け出さなくてはなません」


ババは、人に生まれたことは大変な幸運であると言います。動物のように、食べて寝て性交をして本能のままにただ人生を送るなら、動物となんらかわりません。と。私たちの国では、何故生まれたのか、ということをちゃんと教えてくれるような人はほとんどいません。今の世の中、誰も信じられない、多くの人がそう感じているはずです。
しかし、インドの人はそれを子供の頃から知っているのです。インドは英知の国です。それでも、インドも西洋文化の影響や外国人たちの侵入により、伝統や良い習慣が崩壊されてきました。

私は昨日、たまたま用事があり、インドの国内航空
のパイロットをしている友人(未婚で花嫁募集中・・・いや、募集はしていないようです)を訪ねました。彼の従兄弟と、テーラーを営んでいる母親もちょうどお昼時で帰ってきました。教養があり、品があり、礼儀正しく、洗練されている比較的裕福な家庭と言えるでしょう。
そして、何故私がここに来たか、何年ここにいるのかと従兄弟から質問されました。私はが来た理由は単に仕事を頼まれたからであり、スピリチュアルな人間でもなければ、聖者を探していたわけでもない、神なんてサンタクロースと同じ、子供向けの作り話だと思っていたと答えました。それを聞いてとてもびっくりしていました。そして、インドがどんなに健全に霊的に恵まれている国であるか、私たちの国が、自分も含めて無神論が当たり前であることの大きな違いについて話しました。
すると、インドも霊的遺産を失われつつあること、真の聖者たちに敬意が払われないこと、悪質なメディアのせいで、10年もすれば、日本のようになると言うのです。それは私自身も明白に感じていることです。18年前とは明らかに違います

インドでさえも、このような状態なのです。私たちの国はどうなってしまうのでしょう考えたくありませんね・・・

思い出すのが、2011年1月の震災前のババのメッセージでした。このブログにも載せたと思います。

「インドは多くの神や賢者が生まれた国であり、霊的価値が重んじられています。ある村や地域でいくらかの損失はあるかもしれませんが、最終的にインドは安全な国です」

確かそういった内容でした。(いい加減な記憶なので各自で確かめてください
もしちゃんとわかったら、後で訂正しておきます。いつも適当ですみません。行き当たりばったり、面倒くさがり屋で計画性のない人間です・・・B型)その2ヵ月後、震災時、3月11日に日本ですぐに思い出し、痛く心にしみいる言葉でした。

それに2010年12月22日のメッセージも忘れられません。「日本は伝統的な神道があるのに、よく知らないまま外国のものを取り入れすぎいます」

さて、この前、何故インドの人が子供に神様の名前をつけるのかという話がありました。それに関する過去のメッセージの記録を見つけたので、次回はその話をしたいと思います。過去の世界平和会議の時の公のスピーチの中に出てきたようです。

それではみなさん、良い夜をお過ごしくださいね

18年来のドイツの友達がふたりの小さな女の子を連れてきました。旦那さんも一緒です。赤ちゃんの頃から、よく連れてくるので、すごいなぁと思うのです。まだ小さいのに、ババに会いたいと言うらしいです。インドに連れてくるって勇気のいることですが、西洋人たちはけっこう平気なんですね。六ヶ月の赤ちゃんを連れてきたりするんですここは安全だから問題ありませんが、観光するような旅行はとても出来ないでしょう(@ ̄Д ̄@;)

友達の可愛らしいふたりの女の子は、必ず前日の夕方に、「明日も、遊んでくれる?」と予約をしに、私の部屋にやって来ます。それで、毎日午後、30分くらい一緒に遊んでいます。 昨日の夜は、二人で私のところにやって来ると、庭で寝そべっている犬を一緒に撫でてくれる?と聞いてきました。ちょっと怖いらしいです。とにかく可愛い子供たちです 気分転換になっていますし、こちらが遊んでもらっているのかもしれないと思っています
(;^_^A

家では、アメリカン・コッカスパニエルを飼っているのだそうです。この上の絵がそうだと言います(*^o^*) この犬は動物の保護施設からもらってきたのだそうです。母親である友人は、犬まで子供と同じように振舞うから三人子供がいる気分と話していました(^▽^;)今は同居しているおばあちゃんと一緒にドイツでお留守番らしいです。ご主人のほうのお母さんで、少し痴呆が始まっているということです。本当に偉いです。

この友人家族と一緒に毎日必ず朝食をいただいています。昼と夜は一緒になることもあるし別々のこともあります。今朝、友人が、食前に、神様ありがとうというドイツ語の楽しい感じの子供向けの歌を歌っているのを聞いて、それは幼稚園や小学校で歌っているのかと聞いたら、自分で作詞作曲したのだそうです。昔からとてもきれいな声で歌を歌う人です。食事前や寝る前など、機会があるとドイツでも子供と一緒にこのありがとうの歌っているのだそうです。はー、偉いなぁー
(><;) ちょうど、食事の前の感謝の話を昨日したばかりでしたね。(注・昨日、今日という言葉はいつもインド時間になっています

さて、昨日はキリスト教のお祭り、イースターでした。ここでも、西洋人たちがわざわざインドでイースターを祝いにやって来るのです。この日の朝は毎年、テーブルの上に、誰かしらが用意して卵形のチョコレートやお菓子が並べられています。ひとりひとりの部屋のドアのノブにお菓子の袋をぶら下げてくれる人もいたりします。そういう人はたいてい名乗り出ませんから、みんなであの人じゃないか、と想像したりします子供がいると、余計に盛り上がります。上の写真は昨日のものです。

何日か前に、ふたりの女の子と、いろいろなイースターグッズを作りました。大人も子供も、ちゃんとグッズを持って来ているところが、こまめです。ふたりの女の子は
、私のためにとわざわざ作った私の名前入りのものをふたりでプレゼントしに来てくれましたから、イースターの日にはそれをテーブルの上に飾りました。

昨日の夕刻に、ババはイースターについて少し西洋人たちに質問すると、イエス・キリストに関する短い話をしてくれました。英語とドイツ語でした。私はその場で英語の部分だけ書き記し、翌日の今日、みんなで思い出して内容を確認しました。明日、時間があったらアップしたいと思います


この前の続きから入りたいと思います。下記の言葉で終わっていました。
ババ「何故何度も繰り返して同じ体験をしなくてはならないのでしょう? もっと違う方向に生きる選択をすべきではありませんか?」
 
何故人は自ら命を絶つのかNo.2 (恋人、配偶者との関係について) のつづきです(*^o^*)

ババ「・・・私たちには、人生を世俗的に生きるか、霊的に生きるか、選択することができます。このふたつだけの選択が可能です。


たとえば、B.ゲイツは世界でもっとも裕福な人のひとりです。彼の家はすべて自動で開閉します。ボタンひとつで車を走らせることができます。人が思いつくあらゆる快適さを所持しています。しかし、彼が死んでしまったら、それらの物が彼を助けることはありません。
すべての世俗的な富は、人生の真の目標である神に、私たちが快適に達するためだけのものです。世俗の富に囚われ、贅沢さが私たちの頭から離れることがなければ、それは私たちの頭の上にのっかる小さな石臼のようなものです。
たくさんの問題を抱えた人生は、中から抜け出すことのできない深い深い井戸のようです。しかし、石臼が私たちを下へと引っ張るのです!
人が、常に移り変わるこの世の問題に気づいて、それらをなんとか解決しようと試みても、とうてい無理だとわかったならば、何故他の道、霊的な道を選ばないのでしょう?

私は、人は世俗の生活を楽しんではいけないとは言いません、しかし、すべてのものは神からやって来て、神の元に帰っていくという意識を持っているべきです。
ですから、人間の人生にはふたつの崇高な目的があります。

神を信じる人なら、その人の目的は神と融合することです。
神を信じない人なら、その人の最高の目的は社会に奉仕をすることです」

インドの人たちは、英知に恵まれ、人の最終目的は神と融合することであることを「モクシャ」と呼び、子供のうちからテレビのユニークな神話、映画や漫画を見てよく知っています。
私たちの国の人たちは、無神論者が多いですから、そんな話は聞いたことがない、想像に過ぎないと思う人がほとんどだと思います。自国の神道さえ無視し、そういう面で精神的に本当に恵まれない国になりました。神のことを"健全な形で"大切にする人がいないのです。

学校の給食費を払っているから「いただきます」と言う必要はないというモンスター親が普通にいるという話を聞いて、なんという罰当たりな人たちなのだろうと恐ろしい未来を想像してしまいました。このような親に育てられた子供はどんなふうになるのか・・・と

神に対し、小さな感謝さえ出来ないのは日本くらいだと思います。インドの人々の他に、私は何千という西洋人を見て、接してきました。西洋の国に留学時にも見られましたが、彼らは食事
の前に神に感謝を示すことを子供の頃から親に教えられます。そして、その習慣は大人になっても続いています。

私自身が、無神論者で、神の存在さえ知らなかったのですから、そんなことを突然言われても「は?」と首を傾げる人が大勢いるはずです。私もインドに来なかったらわかりませんでした。日本という国がどれほど精神的に恵まれない国か。

それでも、無神論者でも、社会で奉仕をすることくらいは出来る、今日はそういうメッセージでしたから、信じなくても大丈夫です。強制されて出来るものではありませんしね・・・

このブログではおなじみのレギュラーさんであるインド人の波平さんが、今日はハヌマン・ジャヤンティなんだよと朝いちで教えてくれました。ハヌマンのお誕生日なのです。日本時間だともう昨日になってしまいました。けっこうマイナーなお祝いですが、ハヌマンが好きな人はインドには多いです。ババによると、北インド、アヨーディヤに実在した王家に、ラーマ神は12014年前に生まれたそうです。ラーマは悪鬼ラーヴァナを滅ぼすために生まれたました。その戦いに大きな力となったのがハヌマンだったのです。インドの神話って本当に面白いのです。アニメや漫画が一番楽しくていいです

波平さんは、猿神ハヌマンが死ぬほど好きです。
この日は毎年自宅で大掛かりにハヌマンのお祝いをします。

前に、その話をここでしたことがあるでしょうか。それとも別のところでお話したことがあるかもしれません。

波平さんの息子さんはとても有能な子役でした。テレビや映画にも出ていました。今は、勉強や仕事のために中止していますが、能力があるので続けるといいとババにも言われているのです。最近でも再放送をやっていたみたいです。もう15年くらいまえのものだと思います。
何年か前に、波平さんの息子がハヌマンの役をやった時の写真を見せてもらったことがあります。ハヌマンそのもの、と思えるほど似合っていました。インドの神様のストーリーはテレビの連続ドラマで年中やっていますが、本当に面白いです。日本では想像もできない美しい仕上がりです。

波平さんは、自分の息子はハヌマンの生まれ変わりに思って大事に育ててきたと言います。と言うと、日本だとただの危ない妄想に走っているような人に思われるだけですが、インドでは自分の子供に神様の名前をつけるのが普通なくらい、すべてのものに神を見るという健全的なものの考え方をしているのです。 

また、もうひとつ、インドの人たちが子供に神様の名前をつけるには、大きな理由があります。
それは、「死の最後の瞬間に考えたものに生まれる、なる」という太古のインドの神々の英知、聖典、聖者たちが教えていることを重んじているからです。死の瞬間に、子供の名前を呼べば、その神様のところにいける、魂が神とひとつになれるというのです。そうすればもう生まれなくてすむからです。本当にそうやって自分の好きな神様の名前を子供につけているのです。
しかし、厳密に言うと、そんなに甘くはないようです。間違ってはいませんが、そんなに簡単にはいかないという面白い話をババがしてくれたことがあります。

今のつづきのメッセージが終わったら、その次に、そのお話をしたいと思います。どこにそのメッセージの記録が残されていたか、探さなくてはいけません今年に入ってから、読んだのは確かなんですもし見つからなかったら、他の話になっちゃいますが・・・


子供向けのアニメに出てくるハヌマンです。テレビなどでやっています。こんなにキュートです子供のうちから、インドの人はこうして神話から正義や道徳、神について学んでいるのです。日本では日本昔話で神様の出てくる話がいろいろありましたね。市原悦子さんの声と男の方の語りの声、絵もとても好きでした。あれでしたら、今でも見たいと思います。心がぽわっと温かくなります

赤ちゃんハヌマン

all-god-wallpapers.blogspot.in

今日は、インドではこんな電子カードをみんなに送ったり、ブログに載せたりするのです。「神ハヌマンが、あなたに英知と強さと繁栄を祝福してくれますように」というメッセージがついています。ハヌマンが運んでいる山は、致命的な傷を癒す強力な薬草が生えており、ラーヴァナの領地を攻めたときに、怪我をしたラーマの弟のためにハヌマンが運んできたと言われています。

ハヌマン 

365greetings.com


それではみなさん、明日はよい一日をお送りくださいね

昨日は多くの人がMNJ癌専門病院に奉仕に参加しましたここは、貧しい人たちのみが利用する政府の病院です。施設がなので遠い村からはるばる都会にやって来ます。家族も付き添いでやって来ます。貧しい人たちにとっては、みんなで移動することはとても大変です。そして、入院の初日に食事が出ないことと、家族には当然食事が出ないことで、私たちはお昼の奉仕を長年続けています。とても印象深かったと初めてここにやって来たお医者さんのたまごの西洋人の男性が話していました。

病院の奉仕

懐かしき、波平さんの後姿ですどれだかわかりますねまだ準備中ですが、もう人が並んで待っています。

私がツイッターでよく伝えていたのは、ここは積極的に奉仕をする場所だということです。 私たちは毎日、なんらかの奉仕に携わっています。 観光やお願い事をする場所ではありません。自分の幸せしか考えられない人が来るところではないのです。今日更新したメッセージにもありました。人は社会に奉仕すべきという話です。

インドの真の聖者さんたちにとって、貧しい人々に対する奉仕は基本的な彼らの人生の使命なのです。