思索の森

思索の森

「労働する思索家でないとダメ」という恩師の言葉は、自分の人生を生きていくうえでの、とても重要な意味を持っている。日々の想いを綴っていきます。

「今、困っていますか。」と不意に質問された。そのことに、パッと答えることができなかった。

困っていないわけではない。でも、困っているのか困っていないのかとどちらかと問われたら困っていない。

実際に今の状況を自分として選んでいるのであって、本当に困っているのなら今すぐにもで違う選択をするだろう。

今の選択を選択している以上は、そのことを選んでいる。自分にとってそれがいいと思っているからそうしている。

そのことに自覚的になることをどこかで避けている。ちゃんと決めるということをしていない。

脳裏にチラつくと、そのことをないことしている。考えるということをせず、決めるということにも至らない。

生かす殺さずの状況だと言葉では言っても、選んでいるのは自分であって、そこからは動いていない。

今の状況の中で、いろいろと動いてみて、頭打ちな感じがして、もうこれ以上は前に進めない感じがしていた。

でも、最近はそういう感じがあるわけではない。少しずつ、自分の中で、行動の変化をしてきていることはある。

だけどその自分自身を100%信じ切る。確信を持って目の前のことに取り組むということにはなっていない。

そういう必要性があると感じているし、いろいろなことに手を出して、どれも中途半端な状況になっている。

そういう状況をずっと続けている。やることは減って、スッキリしたと言っても小手先の変化の程度である。

「今の状況を選んでいますよね。」という問いかけ。実際に、今の状況を選んでいる。

もやもやしていることは何であるか。言葉にして、具体的にしていかないとまた堂々巡りになってしまう。

筋トレとして、日々のトレーニングとして、言葉にするということに意識的にもっと取り組もうと思う。