思索の森

思索の森

「労働する思索家でないとダメ」という恩師の言葉は、自分の人生を生きていくうえでの、とても重要な意味を持っている。日々の想いを綴っていきます。

自転車での移動は、目的地を目指す。

歩くときも目的地を目指すが、同じ道を歩く時でも体験が全く違う。

自転車は、いかに早く行くか、路地から人が出てこないかに全神経を集中している。目の前に見えるものも、多くのものがさっと流れていく感じだ。

風を感じたり、遠くの空が目に入ったり、季節によっては金木犀の香りがしたりする。でも、それらは全ておまけな感じだ。

一方で、歩いていると、いろいろのものが目に入ってくる。

考え事をしたり、今日や明日の予定だったり、保留のまま手をつけていなかったことを済ませたり、歩きながらいろいろなことができる。

足は意識せずとも、勝手に前に進んでいく。

自転車の時のように目の前の情報が流れ去っていくということはなく、自然な感じで体に入ってくる。

きれいだなぁと思った目の前の光景を立ち止まって撮ったり、いつもと違う路地を曲がってみたり、余白、遊びがある。

最近は歩く時間はとても贅沢な時間で、心が整っていくような感じがする。

自転車ではそうした感覚はなく、ただ移動したということだけが起きている。

歩くことの効用を感じてからは、歩く時間を生活の中に組み入れるようになった。

朝は走ることもあるけど、時間のことを気にせず味わうような時間だ。

引用: 月刊『ゆらぎ通信』第2号より