balackのブログ

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 「社会人」なんだから辛くて当然。というような空気が、それこそ当然な顔をして社会に広がっている。
 先日も、大手旅行会社に就職した友人が余りの辛さに辞職した。上司や先輩に相談すると、「自分も若いころは辛かった。」「自分でも耐えられているのだから、あなたも大丈夫だ。」と言われていたらしい。

彼らはきっと立派な「社会人」なのだろう。そのようなことを言う「社会人」に私は反論したい。

自分たちの若いころが辛かったのと私たちが辛いのとは、一切の関係が無い。加えて、我慢の押し付け合いをしないでいただきたい。


 「社会人」だろうとなんだろうと、辛くて当然なんてことはあってはならないと思う。誰だって楽しく働けた方がいいだろう。
 若手に対して我慢の先に希望を提示できないのであれば、我慢を強要するのは筋が通らない。
近年では「体育会系」が好まれているーらしい。
それが一番分かりやすい形で現れるのが、就職活動から新人としてデヴューするまでの期間のことだ。先輩の指示には元気よく答え、上司のお茶くみを率先して行う。なかには毎朝職場全員分の机を掃除することを強要されている友人もいた。
そういうのをさせられたり聞いたりすると、「あぁ、体育会系だな。」と思う。

が、それって本当に「体育会系」?違うでしょ。こういったのは、ただの厳しすぎる縦社会なだけで、実力主義の体育会系ではないでしょ。縦社会と体育会は必ずしも一致しない。上司や先輩のしごきに堪えるのは似非体育会で、一つの目標に対してチームがフラットな立場で突き進むのが体育会系なのでは。

「自分は体育会系なので」と、上司に取り入る人間は、いわば「私は奴隷根性が染みついてますよ。」と言っているにすぎない。

昔はそれでよかったのかもしれない。奴隷だろうと何だろうと歯車の一つとしてがむしゃらに回り続ければ、「豊かな社会」に辿りつけるという確信が有ったのだろうから。でも現在は違うだろう?今はどんな要因であれ、そのような確信は生まれてこない。
 似非体育会系が好まれる雇用状況は、奴隷が欲しいという年よりの思惑を、耳触りのいい言葉で言い換えたものである。私は本気でスポーツに取り組み、本気で全国大会を目指していた者として、現在好まれているな「体育会系」という言葉を唾棄する。