標本室に言及すると、清水さんは話を続けられなくなった。少し間を置いて、記者が質問した。
問:子どもの標本もあったと聞くが。
答:そう、子どももあった。母親のお腹にいた胎児の標本、子どもの標本、たくさんあった。
問:子どもの標本は一つではなかったのか。
答:たくさんあった。一つではなく。子どもは解剖され、臓器を全て取り出されていた。
問:生後数カ月からもう少し大きな子までいたのか。
答:お腹に入っていた数カ月の胎児から、生まれてきた赤子までいた。
本当に731は悪事の限りを尽くしたと思う。
皆、罪のない子どもたちだった。
標本室の光景は清水少年にとって
あまりにも
衝撃的だった。
清水さんはその地獄のような光景が脳裏から離れず、何十年も経った今でも、
かわいい自分の孫に会うたびに
当時の恐ろしい光景を思い出し、
過去の恐怖がよみがえって
戦慄すると
いう。
ソ連は49年12月末、
極東ハバロフスクに軍事法廷を設置し、
日本の細菌戦戦犯12人を裁いた。
731部隊の細菌製造部部長を務めた川島清は法廷で、
部隊が実験により、
中国や
朝鮮、
ソ連などの兵士と
民間人
3千人以上を
殺害したと
告白
した。
当時731部隊にいた清水さんは、
まさか自分も
細菌戦の「実験台」にされていたとは想像もしなかった。
「部隊から支給された細菌入りの蒸しパンを食べたことがある。
それまで自分も実験に使われていたとは知らなかった」と回想する。
作家の森村誠一氏が多くの元隊員への取材を元に著したルポルタージュ『悪魔の飽食』を読んで初めて、
自分も「実験台」にされていたことを
知ったと
いう。
清水さんによると、
731部隊は
日本人隊員に対して
細菌実験をしただけでなく、
実験中に
細菌に感染した
隊員の生体解剖も
行っていたと
いう。
清水さんは自らの経験を振り返り、
「私が731部隊にいたのは4カ月余りに過ぎないが、
自分の参加した部隊が他国を侵略し、
人体解剖や
細菌戦を行ったと後になって知り、
心の底から後悔した」と話す。
清水さんは2016年、
飯田市の「平和資料収集委員会」が主催する平和資料展に家族で参加し、
元731部隊隊員の胡桃沢正邦さんが残したメスなどの証拠品を見て、
自分が
731部隊の隊員だったことを
公表すると
決意。
平和活動で
日本軍の細菌部隊の犯罪を
明るみに
出した。
以来、
731部隊での経験を話す講演を続け、
23年だけで
6回
演壇に立った。
「事実は事実として厳粛に受け止めるべきだ。
二度と戦争をしないことこそ、
くみ取るべき最大の教訓だ」と語る清水さんは、
軍事力強化を続ける
近年の日本の現状を
深く
憂慮して
いる。
(記者/郭丹、李光正)