いまの安倍政権は、戦争中におこった真実を伝えようとしない。「慰安婦」はいなかったことにしようとしています。しかし実際に私は、従軍看護婦として慰安婦さんの検診に携わり、いまお話ししたようなことを何度も目にしたのです。もし「そんな事実はないんだ」と言う人がいたら、「私は三亜にいたとき、こういうことを何度も目にした。不審でしょうがなかった」と直接申し上げてもいいという気持ちです。
今年は戦後七〇年。これまで以上に真剣に政治について考えなければならないと思います。みなさんには自分の考えをしっかり持ってほしい。絶対に戦争をする国づくりは許しちゃだめ、妥協してはだめです。私は妥協して、戦争に反対することもせず、自分から率先して戦地に行ってしまいました。そのことをとても後悔しています。


「毎週、検診の介助をつとめた」─中里さんの手記から

医療文芸集団が一九六八年に発行した『従軍看護婦の記録 白の墓碑銘』(東邦出版社発行)。
「戦争の悲劇をふたたびくり返すまい」との思いで従軍看護婦の記録を集めて発行されたこの本には、「江川きく」の名前で中里チヨさんの手記が掲載されています。そのなかから一部をご紹介します。

…外来勤務に代わって初めての日だった。その日は、テントで特別の受け付けがつくられ、産婦人科の軍医が出張して来た。やがて、四台のトラックに満載された百人をこす女たちが運ばれてきた。日本中が地味な色のモンペ姿に統一されているというのに、この人たちは、色とりどりの着物を着流しにしたり、すその長い朝鮮や台湾の服を着ていた。いったいこの人たちは誰なのだろう。そして、何が始まろうというのかしら。私がキョトンとしていると、担当の衛生兵が、慰安婦の検診なのだと教えてくれた。
私はびっくりしてしまった。

いま私の前にその慰安婦が百人もいる…。