シンドバーグ氏は何をした?

後に「南京大虐殺」や「レイプ・オブ・南京」とも呼ばれるようになった旧日本軍のよる惨事を目撃した時、シンドバーグ氏はわずか26歳だった。

Sindberg in Nanjing, 1937

画像提供,AARHUS CITY ARCHIVES/ MARIANN ARP STENVIG

画像説明,シンドバーグ氏は警備員として働いていた工場に6000~1万人の市民をかくまい、治療などをほどこしたという

オーフス市のアーカイブを管理しているソレン・クリステンセン氏によると、シンドバーグ氏は当時、南京郊外のセメント工場でドイツ人とともに警備員として働いていた。シンドバーグ氏はこの工場に、6000~1万人の市民をかくまい、治療などをほどこしたという。

中国は、シンドバーグ氏に助けられた市民は約2万人に上るとしている。

クリステンセン氏は、シンドバーグ氏は「デンマーク最大の英雄かもしれない」と語った。

同僚だったドイツ人のカール・ギュンター氏も、中国人のために仮設のキャンプや病院を作ってシンドバーグ氏を助けたという。

2人が働いていた工場は、デンマークのFLスミスという企業が建てたもので、シンドバーグ氏は1937年12月に雇われた。日本の南京侵攻の直前だった。

旧日本軍はその後、6週間にわたって南京で暴挙を繰り広げた。捕虜や市民を拷問し、レイプし、殺害した。この虐殺による死者は30万人に上るとみられている。

被害者の多くは女性や子どもだった。レイプされた女性は約2万人に上るとされる。

Japanese guards/Chinese POWs

画像提供,GETTY IMAGES

画像説明,処刑されるのを待つ、捕虜となった中国人兵士たち。旧日本軍はこうした人々を殺した
Presentational white space

多くの中国人目撃者に加え、シンドバーグ氏のような現地にいた西洋人も、この残虐行為を記録している。