「ナヌムの家」のアン所長は、「これは個人の人権と請求権の問題ですが、当事者たちは合意をテレビで知った」と経過を説明。「ハルモニの証言を次代に伝えたい」と話しました。

■いまも殴打の後遺症が

「日本政府になぜ謝罪を求めるのか、皆さんと考えたい」。証言集会で、イさんは語り始めました。生家は貧しく「養女」の名目でよその家で働いていました。一四~一五歳の時、お使いの途中、道端で二人の男に連行されました。
「行き先は日本軍が中国に作った“慰安所”でした。そこが何をするところか、分かりませんでした。それほど幼い一〇代前半の娘たちが集められていました」と、イさん。少女たちは一日に四〇~五〇人もの日本兵と性交渉を強いられました。耐えきれず自ら命を絶った少女は多数。拒んだ者は、皆の前で殺されました。遺体は通りに捨てられ、野良犬の餌食となり、骨すら残りませんでした。
逃亡を図ったイさんも、激しく殴られた上、日本刀で斬られるなどの制裁を受けました。いまも腕や足に傷跡が残り、耳や目もこの時の後遺症で不自由です。「私たちが居たのは本当に“慰安”の場だったのでしょうか? そうではありません。“死刑場”です」。
カンさんも一五歳で中国の慰安所に。「人間扱いされず、お母さんに会いたいと泣くと殴られた」と、頭の傷跡を見せました。「被害のことを話すたび、心で涙を流しています」とカンさん。時折気持ちが高ぶり、語気を強めます。「日本政府は具体的な加害の事実を認め、私たち被害者に直接謝罪すべきです」。

■証言を聞いた職員は

大阪民医連の林雅大さん(三三、事務)は、初めて証言を聞きました。“合意”発表後、「詫びたのだからいいのでは?」と言う友人がいたり、「韓国では反発が起きている」と報道があったり…。「直接ハルモニから真実を聞きたい」と考えました。参加して、ソウルの日本大使館前で一九九二年から毎週続いている水曜行動(一二〇〇回超)や、史実を遺すため韓国の人たちが大使館前に建てた少女像のことを知りました。
「この事実を歴史から消すのは絶対おかしい。自分の二人の娘と重ねると胸が詰まって…。過ちを繰り返さぬよう多くの人に知らせたい」と話します。この後、大阪で毎月行われている水曜行動にも林さんは初めて足を運びました。