ウトロ地区には戦時中、国策の飛行場建設で集められた朝鮮人労働者らの宿舎ができ、戦後も在日コリアンらが住み続けた。明け渡しを命じる判決が確定後、住民側は市民や韓国政府の支援を得て土地の一部を購入し、国と京都府、市が住民向けの公的住宅を整備している。こうした地区の歴史を伝えるウトロ平和祈念館が今年4月に開館した。

 有本被告は初公判で起訴内容を認め、被告人質問では「韓国人に敵対感情を持っていた。(放火で)展示品を使えなくすれば開館の阻止につながる。達成感を得たかった」と述べた。

 展示予定だった立て看板など約40点を放火で失ったウトロ平和祈念館副館長の金秀煥さん(46)は法廷で「単なる放火事件として処罰するなら、ヘイトクライム憎悪犯罪)を助長させる」と意見陳述した。


検察側は、在日韓国人やその関連団体に対して一方的に抱いていた嫌悪感などから犯行に及んだと指摘。偏見や思い込み、憂さを晴らしたいという動機は身勝手で、犯行態様も悪質だとし、被害者や被害団体の厳しい処罰感情が「量刑を決める上で、最大限に考慮されるべきだ」と主張した。

 弁護側は最終弁論で「家庭や社会で孤立しがちで自暴自棄に陥っていた」として情状酌量を求めていた。