(1)の空襲予告ビラは、他の都市でもまかれたようであるが、最近になって、高山でもビラが発見された(『平成20年8月4日岐阜新聞』より)。高山では昭和20年8月2日夜、大量のビラがまかれた。しかし、警察や自衛団がすぐに回収して処分したとされる。
その他に、(2)のような片面カラーで印刷されたビラもまかれた。このビラには、空襲後の国民の痛ましい状況を言葉と絵でリアルに伝えている。

このビラは、いつどこでまかれたのか不明である。
当館にはその他に数種類のビラを所蔵している。


用語について

空襲予告ビラ
・・・戦時中、敵国の兵士や市民の戦意を無くすことを目的としてまかれたビラで「伝単(でんたん)ともいわれた。ビラには複数の種類がある。1945(昭和20)年7月頃から全国32都市の上空でまかれたとされ、実際に約半数の都市で空襲があった。まかれたビラに記された標的の都市は、地域によって異なっている。

ミッドウェー海戦
・・・太平洋戦争中の1942(昭和17)年6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー沖で行われた海戦。アメリカ海軍は航空母艦1隻に対して、日本海軍は主力航空母艦4隻とその全艦載機を失った。この結果、日本が優勢であった空母戦力は均衡し、以後はアメリカが圧倒することになった。