2018年9月11日、王希天氏が虐殺された東京都江東区の逆井橋近くの現場を訪れ追悼する遺族ら=木野村間一郎氏撮影・提供

 中国人の虐殺は、目撃者から直接聞くなどして調査した高校教諭仁木ふみ子さん(故人)らの研究があり、日弁連も2003年、被害者は最大750人との報告書をまとめている。それらによると、特に大きな被害を出したのが大島町(現東京都江東区大島)で起きた虐殺。同町に住んでいた浙江省温州市出身の中国人労働者らがターゲットになり、支援していた「僑日共済会」の王希天会長も軍に殺害されたという。
 なぜ中国人労働者が狙われたのか。林さんは「震災前から日本の官憲や日本人労働者との間に緊張関係があった」と指摘する。日本は1920年に不況に陥り、中国人の入国制限や強制送還が始まっていた。「当時の日本政府の文書には朝鮮人と間違えたという『誤殺』の文字があるが、中国人独自の服装をしており、誤殺とは認められない。意図的に殺している」
 林さんの父親は13年、福建省福清から来日。東京で呉服の行商人をしていたが、震災発生で「中国人も襲われる」と感じ、同居人らと警視庁に保護を求めた。通行証を発行され、難を逃れたという。