会社も辞めて、付き合っていた女にも愛想を尽かされて
それでも他人事の様に「なんとかしなきゃな…」程度の考えしか無く
ダラダラと自堕落な日々を過ごしていた頃。

不意に中学時代の友人と街で出くわしたのだが
話を聞くと商店街の中にある小さなパチンコ屋で働いているそう。
バイト募集中なので、もし私さえよければ紹介してくれるとの事。

正直、遊ぶ為にパチンコ屋に入る分には全く抵抗は無かったものの
いざそこで働くとなると…どうにも不安な気分がしてたまらない。

当時のパチ屋の店員といえば、いかにも裏社会の住人という風貌漂う
30代~50代位の人ばかりで若者は殆ど居なかったからである。

どこかでヨゴレ仕事という偏見もあったのかも知れない。

とにかく2~3日考えさせて欲しいとその場は別れたが
やはり背に腹は変えられないので翌日には店に紹介して貰った。

世間ではセーラームーンが社会現象を巻き起こしていた。
地元の高校を卒業後、親戚のコネで入社した某建設会社。
上司に連れられ朝から集金に回るフリしてパチンコ屋のモーニングを狙う毎日。

この頃よく打ってたのは、スーパーアレパチ。
行き着けのホールでは朝イチの出目が全台「3」にされていた。
上司に500円玉を数枚渡されて、とにかく「7」を目指す。
要するに代打ち要員な訳だが。
当たれば連チャン抜けまで続行、ダメならカニ歩き。そんな毎日。

プライベートで打っていたといえば…
とにかく長時間のんびり打ちたい時は羽根モノのブンブン丸を。
少しでも資金に余裕がある時はパチスロのコンチネンタルⅢとアラジンⅡ。

コンチネンタルⅢはあまりに好きすぎて、つい数年前のみなし機撤去の頃
ギリギリまで設置していたレトロ専門店に足を運んで打ち続け、
それが打てなくなってからは実機を購入して、今でもたまに楽しんでいる。

社会人1年生の頃は変わった挙動を見せるパチスロが数多く見られた。
特に前述のアラジンⅡにおいてはボーナス主体で数ゲームスパンでの
強烈な連チャンが味わえるという事で、相当打ち込んだ。

当時付き合っていた女の定期預金を崩させて金を借りて打った事もあるし
たまたまお座り1本で連チャンした時に、直前までハマり続けていたという
前任者の地元ヤクザに絡まれて喧嘩になった事もある。

この頃にパチスロの初の4号機、チェリーバーが登場。
少し打ってみたけどコンチⅢのが全然面白かったのでそれっきりだったが。

会社自体は最初の1年で辞めた。
付き合ってた女には愛想付かされ逃げられた。

急いで仕事を見つけないと生活が出来なくなるという不安は感じていた。
一応進学校ではあったものの、たまたま補欠合格しただけで万年成績ビリの私は
元から大学への進学など全く考えていなかったので学校でも浮いた存在だった。

特に3年生に上がった頃にはそれは顕著になっていて
別に不良ごっこがやりたかった訳ではなかったが
同級生の連中には「何しに学校に来てるのやら」という目で見られたものである。

この頃になるとパチスロのモーニングが取れてもその後が続かない事も知り
モーニングが狙える時は狙って即ヤメ、一旦換金して羽根モノを打つ事が増えた。
(換金所が開くまでの1時間がとにかく苦痛だったのを記憶している)

羽根モノはビッグシューターとスタジアムをよく打っていた。
特にスタジアムは役モノの特性上、Vゾーン直前で外れるガッカリ感が無く
それだけで不思議と安心感があって好きだった。

打つ時はなるべく打ち止め札が刺さった台に座る様にしていた。
地元では予定終了後、1~2時間空けてから開放されるのが普通だった。

夏の終わり頃にフィーバーパワフルⅢが登場。
保留玉連チャン機時代の本格的な幕開けである。
また、アレジンやエキサイトもこの頃に登場、爆発的に流行ったものの
これらはあまり打った記憶が無い。というか勝てた記憶が無い。

パチンコは詰まる所、出玉が無ければ面白くない。
早い段階で一度でも面白い思いが出来なければ、もうその機種には近づかない。
私はそんな男であった。

そうこうしながら、危ぶまれていた高校卒業を何とか果たしたのである。