しんどいことがあってみたり、不意にさびしくなったりすると、もっと大人になりたいと思う。

 

それは年なりの分別を持つとか、メンタルを強くするとかいう精神論じゃなくてね。

 

世の中を見る時の、見える景色の解像度を上げたいってこと。

 

全然違う人になった気分で世の中を見るとか。

 

どうしたらそうなるか考えてたら、いいことを思いついた。

 

今まで買ったことない雑誌を買って読もう。

 

手始めに先月末にプレジデントとnewton、それに昨日AERAと装苑を買った。

 

ざざっと読んで、newtonと装苑は好きだなと思った。

 

たぶん私は専門雑誌が読みたかったんだな。

 

なんかよくわからないけどすごいんだよ。

 

たとえばnewton2021年1月号の7ページ、「音の速さの理論的な限界について」の文章で、

 

音の伝わる速さは気体や液体よりも固体中で速くなるって書いてあって、ふむふむ・・・・と読み進めてると、

 

木星などの巨大ガス惑星の中心付近では水素が圧縮されて固体金属に変化してる可能性があり、音が限界に近い速度で伝わるかもしれない、って書いてあって。

 

おいおい、水素って金属になるの?というか固体になったら金属ってことなの?とかって、あっという間においてかれるの 笑

 

それが当たり前だと思える人が読む雑誌なのねー、手強いねー、わくわくするねー、お邪魔しますって感じだねーって 笑

 

私が求めてたのはそういうことだ。

 

そんなの知らなくてもたぶんなにも困らないよ。

 

でもそれってたとえるなら、赤系の色を全部「赤」としか表現できない世界で生きる狭さ?もどかしさ?に苦しむか、その不自由さに気づきもせず生きるのと同じようなもんじゃないかな。

 

それを表現できる言葉を持つ人にとってその赤はバラ色かもしれないし、朱色かもしれない。

 

紅色かもしれないしレンガ色かもしれない。

 

もしかしたら海老茶色かもしれない。

 

そういうのを感じながら暮らしたい。

 

でも科学雑誌の横には陰謀論の本が、健康雑誌の横にはスピリチュアルの本があったから気をつけなきゃ、とも思った。

 

見える景色の解像度を上げるつもりが、レンズごと歪めてしまうような情報も一緒くたに並べられてる。

 

そういう世界で私たちは生きてる。

 

それはとてもリスキーな世界だけど、見方を変えるとすごく色彩豊かな世界だよね。

 

何を見て何を信じるか、全部自分で決めていいんだなって。

 

床についてる足の裏に、のしっと重みをかけてみた。

最近、近所のスーパーが結構なボリュームでイン・ザ・ムードをエンドレスで流し続けてる。

 

 

 

「もー、年末で買うものいっぱいあるのにこの音、、、ちょっとゆっくり考えさせてよ、と思う」ってぼやいてる母に、

 

「そう?私は『高くてなんにも買えない音頭』として楽しく聞いてる」って言ったら、アンタやっぱり変だねって笑われた。

 

変かな?

 

私の頭の中では風刺のきいたコメディー映画の1シーンなんだよね。

 

かまぼこも筍も、お正月用に買おうとしたものはどれも物凄く高くて、だれもが手に取った瞬間ポイって棚に戻す。

 

そんなテーマでチャップリンが映画作ったら面白いのできそうな気がするけども。

昼間買い出しのメモを取ろうとケータイのメモ機能を開けてみると、「ある時私は」って書いてあった。

 

これからなんか物語が始まるみたいな書き出しだけど、ほんとにそれだけしか書いてなかった。

 

そんなの書いた覚えないんだけどな(;^ω^)

 

メモ機能は買い出しのリストとか事務的な事にしか普段は使わなくて、長い文章はパソコンで打つようにしてる。

 

たぶん夜中に寝ぼけて書いたのかな。

 

その時私は何を書きたかったのかな。

 

もう絶対読めない続きが気になる。

なんかもういろいろありすぎて頭がパーンってなっちゃって。

 

一人で部屋に引っ込んで食べるケーキだって美味しいことに変わりはないよ。

 

もう疎遠になっちゃったなーと思ってた人から突然メリークリスマス!ってコーヒーチケットを頂いたり、

 

スーパーでぼんやり買い物してたら、よく行く中華屋のママさんになんの心の準備もしてない状態で遭遇して、この前頂いた柿のお礼を言いそびれたり、

 

友達がクリスマスプレゼントにって送ってくれたお茶碗が箱を開けてみると割れてたり、、、他にもここに書くべきでないようなこともいろいろあったり。

 

嬉しい事でも悲しい事でも、なにかが起これば必ず心は衝撃を受けるんだなって、こういう日は思う。

 

若かった時はクリスマスになんにも浮ついた予定がないことに、どんなに虚勢張っても心のどこかで劣等感を持ってたけどさ。

 

今はただ、ひとりきりの静かな部屋が心地よくて。

 

これを老化と言う人も居るだろうけど、老化なら老化でもいいんだ。

 

今まで過ごしたどのクリスマスの私より、今夜の私は自由だからね。

ショッピングモールの食料品売り場の辺りを歩いてると、白いものを両手で抱えたお兄さんが向こうから歩いてきた。

 

その白いものを、なんていうか慈しむような優しい顔で眺めてるから、てっきり赤ちゃんを抱いてるんだと思った。

 

すれ違う時にちらっと見たら、赤ちゃんだと思ってたのは大きなオードブルのパックが入ったビニール袋だった。

 

なんか可笑しくなっちゃって、あの人なんか変だなって思われそうなくらい一人で笑っちゃったんだけど、その後涙が出てきて止まらなくなった。

 

あの優しい顔は、きっとあのオードブルを持って帰る家が幸せな証だ、って。

 

よかったなぁ、オードブルのお兄さんに幸あれ、って。

 

心も体もあんまり調子よくないけど、そう思える自分が、なんだか嬉しかった。