ここに記事が載る事はなかったけど、実は、書こう書こうと足掻いてはいたのよね。
んー、認めたくないから今まで口に出さなかったけど、なんか私、カドが丸まっちゃったかもしれない(;^ω^)
容赦なく健康は有料だって思い知らされる年になったから、あんまり夜更かししなくなったのも関係あるかもしれない。
この記事だって昼過ぎに書いてるね。
体の事考えた食生活に早寝早起き、ストレッチや筋トレで体を整えて、お風呂も安もんだけど保湿効果のある入浴剤を入れてゆっくり入る。
アルコールも滅多に飲まなくなったし、こまめにゴミ出しもする。
揚げ句漬物漬けたり、朝一番に掃除までしちゃってるもんだからさ。
い、いかん。暮らしが丁寧になってしまう・・・!!!っていう危機感はある。
結構な事じゃないかって言う人も居るだろうけど、私にとっては死活問題なんだよね。
健康的過ぎて面白くない。
若い頃はどんなに口で悪態吐いてても、こんな私が生まれてきて良かったんだろうかと思ってた。
そういう遠慮が世の中に対してあった。
でも今は、生まれてきて良かったに決まってんじゃねぇかと思ってしまってる。
対外的には人当たり良くなったと思う。
コミュ障なのを隠せるくらいにはコミュ障が治ってきた。
でもなんか前より傲慢になったような気がする。
じいちゃんばあちゃんの介護を経て、強くならなきゃ生きていけない局面もかなり乗り越えてきたしね。
なんか心も年を取ったような気がするよ。
いろいろ書いたけど、平たく言うとスランプです(;^ω^)
プロじゃないんだから気にせずどんどん書けばいいじゃないかって自分でも思うよ。
でもなんか違うのよ。
つるっとした文章を書く力は、前よりついたと思う。
でもこんなん書きたいわけじゃないなぁと思う。
このままつまらない大人になってくのかなぁ、やだな。
このスランプを乗り越える事できるのかな。
出来るとしたら、その時私はどんな事思うのかな。
お久しぶりの更新。
お元気ですか?
私のほうはわりとハードな毎日過ごしてますが、ちゃんと食べてるし寝てるから大丈夫だよ。
まだまだくたばるわけにはいかなーい 笑
ばあちゃんが入院してしまいました。
ずっと心臓が悪くて足が浮腫んでたんだけど、その浮腫んだ足にばい菌が入っちゃいまして。
化膿止めを点滴して足を高くして安静にしなきゃいけないんだけど、認知症だからじっとしてられないみたいでね。
あんまり治りが良くないらしく、予定よりも入院期間が長くなってる。
認知症の症状も酷くなってるみたいで、蛇が出ただの蜂がいるだの言って騒いでるらしい。
でも暇さえあれば歯ばっかり磨いてるって話を聞いて、どこまでいってもばあちゃんはばあちゃんだなぁと思った。
年を取ると特徴が煮詰まってくるのね。
私が認知症になったらどんな事言うんだろうな、とか思うとちょっと怖い。
どんなにごはん食べても、「食べてない!」って言い張ってまだ食べようとしたりとか絶対するだろうなぁ 笑
ばあちゃんが居なければ介護もしなくていいので、母ちゃんはちょいちょい父のところに帰るようになりました。
ひとりの夕食は美味しくても不味くてもなんの感想ももらえなくてちょっとつまらないけど、味は濃く感じて美味しいです。
一人にすると家が荒れるとか言われたら面白くないので、苦手な掃除もマメにしてます。
ばあちゃんが元気な頃はいつも床がきれいに磨かれてて、ピカピカ光ってたんだよな。
私はそんなふうにはできないけど、父のところから帰ってきた母ちゃんが、
アンタが仕切ると家がいつも食べ物のいい匂いがするって言ってくれて、それは嬉しかったな。
同じ家でも仕切る人によって匂いが変わっちゃうんだね。
嬉しかったけど、やっぱりちょっとせつなかった。
庭にばあちゃんのバラが咲いてるのを見て、なんか胸が締め付けられるような思いがするんだ。
もうずっと忘れてた、私が小さい頃の元気だったばあちゃんの事を思い出したの。
コロナの予防で面会もさせてもらえないけど、次会った時もばあちゃんが家族の顔を覚えてる事を祈る。
久しぶりの更新なのに辛気臭い内容でごめんなさい。
落ち着いたらまた、楽しい記事も書くからね^^
歯ぎしりから歯を守るために、寝る時にマウスピースしてまして。
そのマウスピースを洗うための入れ歯の洗浄剤を買いに行った日のこと。
高校生くらいの男の子に見える店員さんに、「入れ歯の洗浄剤どこにありますか?」って訊いたら、
「イ・レ・ヴァーノ・せんじょうざぁ~い?」って訊き返されて、ん?と思った。
彼が助けを求めたのは、外国人風の顔立ちの別の店員さんだったけど、
二人して「イ・ルゥエ・ヴァーノ?イ・ルゥエ・ヴァーノ・せんじょうざぁい?」って復唱し合ってるだけで、二人共わからないみたい。笑
店長呼んできます、、、って走ってく時も、「イ・ルゥエ・ヴァーノ・・・」って復唱しながらだった。
ちょっとコントみたいで面白かったけど、私も英語で接客しろとか言われて、知らない単語で何か言われたら同じようにするよなぁ、、、って。
笑っちゃいかんね、応援しなきゃ。
後から考えたら、先に声かけた彼ももしかしたら外国人だったかもね。
こんな田舎のドラッグストアで、その辺に居そうな顔した若い子は日本人だろうって勝手に思っちゃってた。
ちょっと自分の偏見というか、思い込みみたいのを垣間見たような気がして、ドキッとした。
近所のお肉屋さんのコロッケは、いつも2つ入りで税込み150円。
お求めやすい庶民の味方価格なんだけども、これがちょっとね、日替わり過ぎるの 笑
きっと前日の売れ残りのお肉を早く売り切るために作ってるんだろうけど。
初めて買った時は、鶏ミンチが入ったかぼちゃコロッケだった。
ほう、、、かぼちゃコロッケをかぼちゃだよと言わずにコロッケとして売るって変わってんなぁ。
ここのコロッケはずっとかぼちゃコロッケなんだろうな?と思って次の時買うと、
これ絶対さいころステーキだよね、って感じの、ミンチってなんですか?みたいなお肉がごろごろ入ってるコロッケだった∑(゚ω゚ノ)ノ
それでも2個で150円。
昨日食べたら、これはコロッケじゃなくてメンチカツですな、って感じの、ほぼほぼミンチのコロッケだった。
他にもサツマイモが入ってる時もあったな。
品質が安定しないどころか、全然違うものを同じ名前で売ってるなんて、今時珍しいよね。
嫌な人も居るかもしれないけど、私はこのシステムを気に入ってまして^^
きっと買う前に、「今日はなんのコロッケですか?」って訊けば教えてくれるんだけど、
敢えてそれを訊かずに齧るのが楽しいのですよ^^
期待したものがいつでも手に入るのはすごいサービスだけど、
今日はどんなかな?ってワクワクさせてくれるのもサービスだよなぁって。
目から鱗でした。
「新しい国語」にはいつも、私が期待するほどは新しい事は書かれてないなって、子どもの頃思ってた。
そんな事はいいとして。
新しいノートに気後れする気持ちが抜けない限り、私は私であり続けるような気がするんだよな。
子どもの頃は気後れなんて言葉は知らなかったから、新しいものがあんまり好きじゃない事にしてた。
新しいものにはなんの罪もないのにね。
新しいノートが新しい間だけ丁寧に字を書いて、最後のほうはやっつけ仕事みたいに書き取りをするのは私。
懐かしのポンキッキーズで「昨日より今日が好き 新しいから~♪」って歌が聞こえてくると、
なんて軽薄な。そうやって新しいノートを手当たり次第使いかけで放り出して台無しにするのははしたない事だ。なんて。
一人密かに腹を立てて軽蔑した相手は、今思えば私自身だったかもしれない。
新しい素敵なものを台無しにする自分が嫌いなだけで、新しいものが嫌いなわけじゃないのに。
どうしてもそこを直視できなかった。
高校生の頃だったかな、使ってた自転車が古くなって買い替える話が出た時、私は妹の使ってる自転車をもらい受けて、妹に新しい自転車に乗ってもらう事にした。
その時のほっとした気持ちを覚えてる。
新しいものを私の手で台無しにせずに済む安心感。
ちょっと前かごが錆びた妹の自転車は、そんな事を思うめんどくさい私でも気安く乗れる愛車になった。
妹思いだねぇ、なんていろんな人に言われても、あんまりぴんとこなかった。
アンティーク調のものが好きだったのも、きっと根っこは同じ理由だったんじゃないかな。
それにアンティークには、大事に愛され続けてきた実績があるものね。
今は新しいものはきらきらして素敵だなと思うし、自分にもそういう素敵なものを使う資格はあると思うし、
アンティークはアンティークでもちろん素敵だけど、でもどうしてもフレッシュさが欲しい時がある。
年取ったかな。
人間は年を取ると古くなるんだろうか、それともいつも生まれてから今までで一番新しい側の、時代の端っこに居るんだろうか。
・・・・その時その時、自分に都合がいい思い方ができる老獪さを身に着けたいね。
でも、それはそれとして、時々思うのね。
世界最高齢の人も、シーラカンスみたいな頑固ジジイも、生まれた時はこの世で一番の若手で、なんの拘りも屈託もない、可愛い赤ちゃんだった事を。