五木寛之さんの連載・生き抜くヒントに『殴られながら学んだこと』と言う記事を読みました。修行僧の水垢離は水をそっとかけずに体にぶつけるようにかける。つまり困難に立ち向かう心構えとコツに付いてです。
氏は戦時中を思い出し、人を殴るという行為が教育としてめったやたらに有ったと回想します。教師が生徒を、先輩が後輩を、そして親が子供を殴る。その是非はともかく話は、殴り方と殴られ方に両者の阿吽の呼吸があったといいます。
反射的に顔をそむけて逃げようとするより、かかってこいという態度でいる方がかえって怪我が少なく、目上が目下を教育として殴る行為が常識である以上、それが合理的でまた美的な殴打が成立していたと仰っています。
戦後生まれで団塊の後のシラケ世代の私でも、そんな雰囲気の先生の存在を知っているし、悪戯の連帯責任で実際に殴られた事のあるU先生には今でも懐かしさを感じます。
そこで、ちょっとだけ接点のあるエピソードをしたたてみました。
私の腕の静脈が深くて目視で探せず、採血や点滴をするときに必ずと言っていいほど痛い目に会うんです。看護師さんの熟練度にもよりますが、最悪だったのは内出血が引くのに一か月近くかかったことです。それは冠動脈CT検査の血管造影剤の針の留置の際に、静脈を探すのに無理矢理針の先端で血管を探されたために起きたものでした。彼女もわざするわけがなく、私の逃げ腰が意識無意識に伝わって最悪の事態となったのかもしれません。とにかく針先でグリグリされたのが痛くて大声を上げたほどです。
その経験からか、昨年の手術時の針の留置は逆に上手く行ったんです。何故かと言うと、痛かろうがどうせ静脈内に針をいれなければならない事実と向き合って開き直ったんです。
若い看護師さんで、案の定右腕にするか左にするか表面を擦って血管を見極めようとするのですが、今一つ確認が出来ないようで困った様子でした。
そこで「おじさんは慣れているから、そのくらいの痛みは平気だよ」。怖さとは逆に笑って見せたのです。
すると看護師さんの表情に余裕が戻り「左腕にしましょう。少し痛いですけど我慢してください」。ニッコリ微笑むと、思いのほかすんなりと痛みも僅かで針は留置完了です。
入院中に何度かこの看護師さんと顔を合わせる場面が有り、あちらの態度もそうでしたけど、
「私はあなたのためにやった。僕は僕のためにしてくれることなら受け入れましょう」と、そんな会話をしているかのように、何故かお互いに笑みがこぼれてしまうんです。
ひょっとしてこの体験は、氏の言う痛みを強いる側とそれを受けようとする側の阿吽の呼吸が成立したと言う事なのでしょうか。お互いに美的感覚を共有したということなのかな……。
さて、本小説もどうにか一つの区切りまでたどり着きました。周りには評判の宜しくない物語ですが、書いた本人にとっては我が子同然。見捨てるわけにはいきません…(笑)。
最終的には書き直し後、いらない部分を切り落としすっきりした内容にしたいと考えております。
小説「箱庭の恋」最後の通勤・期待と不安…その七
お付き合い有難うございました。 baku
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