およそ3カ月後
漠では08年度が卒業した後、
およそ一カ月の拵えによる新歓公演「CRIMERS」は無事終了した。
フレッシュな一年生が10名近くも入部し、
現在はお披露目公演ともなる「ナツヤスミ語辞典」の製作に取り掛かっているのだった。
その一方で――
当局はとある要注意人物の身柄を東京学芸大学構内で確保することに成功した。
SATSUKIの脚演を担った、
関谷和也、その人である。
事件は今年6月某日、「シガク会大会」において関谷氏が「ワーキング・グループ」の報告発表に報告者として出席していたところを、たまたま居合わせた当局局員が声をかけ関谷氏本人であることを確認、身柄確保へと乗り切った。
△身柄確保直前の写真。漠を既に卒業しているとはいえど、装置・小道具・客席をこなしてきたその腕力は衰えておらず、身柄確保は困難を究めた。
当局の調べによると関谷氏は当学大学院に「入院」後、この「シガク会」の「ワーキング・グループ」なる現地の研究活動強制サイクルに組み込まれ、およそ3カ月もの間研究活動に貢献していた模様。
漠内でも目撃情報が多発しており、「学内を風間の服装で歩き回っていた」「北側講義棟4階でトイレに入っていく姿を見かけた」などという証言があるが信憑性に欠けるものが多く、一部の証言を除いて、それは関谷氏ではなく関谷氏の生霊だったのではないかとの見方が強い。
また当局では、去年の1月20日近辺にも類似性の高い事件(『卒業論文=修羅の道』)に関谷氏が巻き込まれていたことを確認しており、東京地険に事態の究明を急がせている次第だ。
しかし一方で、東京地険は関谷氏がSATSUKIによって多くの漠部員を長期に渡って拘束していた疑いが強いとして、近日家宅捜査及び任意同行のもと連行し事情聴取を行う予定。
身柄が確保された後の会見で関谷氏は、時代考証で有名なО石教授や昨年退官を惜しまれたK村教授にM淵教授、ソウル大学のK島教授らの見守る中、見事「ひとりじゃないの/天地真理」の1フレーズを歌いあげ、拍手喝采の沸き起こる中会場を後にした。
△学生部ゼミ長として出席していたうっちょとの一枚。鬼門とのうわさ名高いワーキング報告終了後、そのほっこりとした笑顔は「解放感」そのものであった。
――――記述はここまで、上の報告を作成した局員は報告の2日後、謎の失踪を遂げている。
私としては、是非誰かにこの事件の真相を暴いて欲しい。この事件とそれに関わる全貌を。
この鉢合わせに事件性は無かったのか?なぜまた修羅の道は再版されたのか。
関谷氏の「入院」とは何を意味するのか?なぜ新学期になってからの方がひのきさんとのエンカウント率が高いのか?逆に岡田さんと一切遭遇しないのは何故か?
謎は深まるばかりだ。
<おわびに>
脚色が多くってすいません。でも歌ったのは本当ですよね。
後輩として誇らしかったです。
せきさん、本当にお疲れ様でした。
歴史資料の大切さを改めて考えるよい機会になりました。
漠に残る歴史資料は長く保全していこうと思いました。
<さいごに>
もう使われないと思って遊んじゃいました。ごめんなさい。
※申請があり次第、ちゃんと消します。
またみなさん揃って飲みにでも行けたら―――
エピローグ『―――帝都の闇に融けてゆく』