1184年に源義仲が征夷大将軍に任じられた日でした。
$みんなで学ぼう!?-源 義仲(木曾義仲)
源 義仲(みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将で、木曾義仲の名でも知られています。
河内源氏の一族である源義賢の次男で、源頼朝・義経とは従兄弟にあたります。
『平家物語』において「朝日将軍(旭将軍)」と称されています。

以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って上洛します。
連年の飢饉と平氏の狼藉によって、荒廃した都の治安回復を期待されましたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となります。

法住寺合戦に及んで、法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となり(征夷大将軍説もあり)、その10日後に源頼朝が送った源義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれました。