成田闘争1971年に成田空港反対闘争の三里塚で、第1次強制代執行された日です。

1966年、新東京国際空港(2004年より成田国際空港)予定地として、千葉県成田市三里塚が抜打ち的に閣議決定されました。
これに対し、地元農民が三里塚・芝山連合新東京国際空港反対同盟(成田空港反対同盟と略称)を結成し、反対運動が始まりました。
1968年、中核派、社学同、革労協の三派全学連との共闘以後、政治闘争化を強めました。

当初、約1000戸だった反対同盟は闘争の過程で北原派、熱田(あつた)派、小川派の三派に分裂しながらも、第2期工事をめぐって闘争を続けてきましたが、1991年国側の陳謝、強制収用放棄声明により、両者が交渉を始める気運が生まれ、熱田派は1994年、小川派も1995年闘争に終止符を打ちました。
1996年、元小川派代表兄弟、1997年には熱田派の2戸が空港公団と土地の売買契約を結んだため、用地内農家は4戸となったものの、北原派は移転反対を続けています。

この闘争は、僕が生まれた年に起こっている出来事ですので、あまり記憶にはないのですが、幼稚園のころにテレビで、闘争の現場を中継しているのを見た記憶は残っています。
利用するわれわれは、成田空港があって便利ですが、実際に住んでいる人から見れば、要らない物だったのかもしれませんね。