日本が世界の文明の発祥地か?(1)

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トルコのギョベクリテぺ遺跡 12000年前の遺跡と言われている。
ドイツの発掘隊による全体の5%程度の発掘であるが、発掘が進めばさらなる発見もあるでしょう。

これまで日本の洗脳教育?のお陰か、考古学においてもかなり偏った解釈をしていた様に感じる。歴史解釈も「古事記」「日本書紀」を土台に始まることがほとんどであった。漢字流入以前には文字はなかったと言われ、この分野ではかなりの遅れをとったことは否めない。
各地域に残る幾つかの「神代文字」とそれに沿う「古史古伝」。この「古史古伝」今では偽書とされているものが多いが果たしてそうなのだろうか。ほとんどの文書は神社に保存されていたもので、そこに大きな意味を感じる。
神社は神域であることで貴重な文書を保存するには最適な場所であると思う。保存を目的とするなら、後世に残すべき何らかの真実が含まれているのではないだろうか。
そしてやはり神社に残る「ペテログリフ(石に刻まれた文字、絵)」も後世に残すことを目的としてるように思う。

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国東半島に残るペテログリフ。「豊国文字」「山窩(サンカ)文字」と言われ、「古史古伝」の一つ「上記(うえつふみ)」と関連する。(山窩とは縄文人の一系統で定住せず山内を移動しながら生活した民、戦前までは関東でも一部の人は残っていた)
読みは右から左へ
一行目 ソ コヲヤキ  
二行目 ヨ キチホレ  
三行目 シ モワトク  
四行目 ヒワノカミノリヨ  
五行目 シ フキアヱス  
六行目 ネ ツキヨタイ
七行目 テムダ 
  

         

考察 (1)でも指摘したが、日本人はネアンデルタール人の船舶移動によって流入した可能性も述べた。それ以外でも縄文人が12000年前に太平洋を渡りアメリカ大陸に到達している証拠もある。航海技術は天文学も熟知していないといけないし、かなり高度な知識を必要とする。このことだけでも12000年前には、高度な文明を築いていた可能性を想像することができる。

一つ言っておかなければいけないことがある。縄文の船とされる学者の提唱した葦船であるが、これは縄文文明を見下し過ぎであり得ないことである。航海実験でも予定のコースの目的地にたどり着けなかった。水を含み航行不能となったのだ。効率の悪さはわかっているはずで、こんな下らない実験に貴重な研究費を費やすことに憤りを覚える、しかしその後の縄文船の研究で進展した話は聞かない。木造船の発掘例もあるのに何故そんな発想に行き着くのか。いかに日本の研究者の想像力が乏しいかを晒しているだけだ。

日本語は孤立語と言われ、類似した言語が見つからない。時代が下るごとに効率よく単純化される言語であるが、日本語は複雑なままだ。このことは、日本語は発音から始まったかなり古い言語であることを物語っている。ただ単語だけを見ればヘブライ語との共通点は数多くあり、DNAでもセム系ユダヤ人と共通点を持ち何らかの関連を感じさせる。
つまり、古くより高度な海洋技術を所有していた縄文人は地中海あたりまで進出していた可能性が高い。


世界の巨石文明と縄文人の関係を考える

地中海沿岸、中米、南米に多く残る石造建築物。ここにも縄文人との関連を強く感じさせるものがある。

世界にある巨石建造物の多くは沿岸部に存在する。これは運搬を船に頼ることが多かった証だろう。また海洋民族が関わっていたとも考えられる。マヤ文明、インカ文明とその周辺には縄文人と言われるミイラも何体か存在する。
エジプトのピラミッド群も運搬のためか河川に近い。クフ王のピラミッドのようにこれだけ巨大な建造物では、地盤の選択も重要な要素になるので運搬法はその都度変化するのだろう。


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            サクサイワマン遺跡
      
インカのサクサイワマンの高度な石組みは、鉄の道具を駆使しているだろうがどのような加工技術があったか不明である。時代は下がるとは言え、現代の技術を用いても加工には困難を伴う。巨石を惜しみなく用い堅固な砦を築いている。

古代においては鉄は大変貴重であり再利用を繰り返すため古い時代の鉄道具の出土例はなく、発掘例は時代を下げた物しかないため、時代を錯誤しているのではないかと私は考えている。


         
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         3300年錆びないツタンカーメンのナイフ
         ニッケルを含む隕鉄を原料にしているため
         錆びにくいのだろう

この地域この時代の鉄製品は大変貴重で、ツタンカーメンは鉄のペンダントもしていた。黄金と同等かそれ以上の価値を持つと言われている鉄は、道具として使えるほど一般的ではなかった。しかしシュメール文明、エジプト文明で見る巨石建造物は鉄の道具無しには考えられないので、私は他国からの調達品と考えている。
では他国とはどこでしょう。
それは縄文人の住む日本である。
その根拠を述べましょう。初期の製鉄として考えられる原料は加工の容易さから考えて「砂鉄」です。世界には良質な砂鉄の産地は三ヶ所、ニュージーランド、カナダ、そして我が日本。文明が発達したのは日本だけである。16000年前の世界最古の土器の製造ノウハウを持つ日本は、火をコントロールでき製鉄に応用も効くということである。これが一つ目の根拠。
たたら製鉄の技術を持つ縄文人は、古典的な技術でありながら高品質の鉄を作り出せる。初期のたたらは谷筋に炉を築き、谷に吹く颪(オロシ)を利用し温度を上げる方法を採っていた。
たたらの語源は通説ではタタール王国と言われているが、私は独自の調査でアイヌ語だと考えた。調べた結果「た・たら」は ” 採取して背負う” という意味を持つことがわかった。遠く離れた王国の名前をつけるよりはるかに自然で相応しくはないだろうか。神話にも製鉄に関わる記述はある。ヤマタノオロチがそれである。原料の磁鉄鉱が採取できる谷を今でもオロチ谷と呼ぶ箇所がいくつかある。これに関しては以前twitterで文章化しているので詳細は省きます。
この製鉄の始まりはいつ頃でしょう。氷河期で暖をとることから火を操る技術の上達から土器製造が始まり、さらに製鉄に応用したと考えると16000年前の直後、15000年前頃ではないかと思っている。これが二つ目の根拠。
この時期は日本神話の成立時期と重なると考える。氷河期中は食料調達しか考えられなかっただろうから、20000年前に終わった氷河期のそのあと、神話の成立は温暖化が始まった頃と考えられる。

ツタンカーメンの時代3300年前以前に鉄の道具があったとすれば、矛盾するようだが道具は超貴重品として門外不出であったのであろう。それが石工から始まったとされるフリーメイソンの秘密性に繋がるようにも感じる。また別の見方をすれば鉄の道具はあったが、隕鉄ということで特別な存在であったのかもしれない。日本でも隕鉄を使った刀があるが、やはり特別視している。
      

                                                  

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          ギョベクリテぺ の彫刻 

       

 

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                           シュメール文明の彫刻
 

12000年前と言われるトルコのギョベクリテぺ遺跡(巻頭の写真参照)。ここにも鉄の道具を使わないと無理だろうと思われる彫刻群がある。この遺跡の築造者がシュメール人の元となった人々とも考えているが、そうなると縄文人との関連も考えないといけない。発掘もまだほんの一部であるので縄文人と結びつける材料はまだ無い。


日本の巨石建造物

日本の巨石文化も改めて見直す必要を感じる。
有名なところでは飛鳥の巨石群が知られるが、中でも私の先祖でもある蘇我馬子の桃源墓「石舞台古墳」が有名である。時の女帝 斉明天皇が作らせた彫刻群が知られるが、この時代に始まったと思えない熟練さを感じる。
この巨石群などは、吉野の古代の石工が関わっていると古老から聞いたことがある。
この石工たちは相当な力を持っていたようで、古墳の建造なども手がけ天皇達の寵愛も受けていたらしい。神武天皇も近畿を目指したのもこの石工を手に入れる目的もあったのかもしれない。もう少し調べたかったがこの古老も数年前に亡くなり、調べる術は無くなってしまった。

メンヒル・ドルメンなどの石造構造物も多く残っているが研究は遅れているように思う。ピラミッドと言われる山も多いが、オカルトと結びつけられやはり研究は進んでいない。日本は湿潤な気候のせいで樹木が繁茂しやすく石を隠してしまうことも原因にあるのだろう。

今でも私が強く思っていることがある。
ピラミッドは日本の山おそらく富士山を模しているのではと考えている。
ある年、冬至近くの東名高速を走っていた時、雪をかぶった富士山に登り始めた朝日が当たりしばらく黄金色に輝いていた。この時、啓示のように私の頭に ”ピラミッドだ” と浮かんだのである。日の上る東の神秘の国「日本」の蓬莱山は古代中国では伝説であり憧れであった。シルクロードによってその伝説は中東からヨーロッパに伝わっていく。古代中国の秦の始皇帝の陵も風雨によって今は高さは半分になっているがピラミッド型である。各国の権力者は象徴として富士山を身近に建造することを望んだのである。
離れたメキシコのユカタン半島などでは多少違った形になったのはニュアンスが違って伝わったからだろう。その代わりユカタンのピラミッドには「巨大な樹木」と伝わっている。おそらく「扶桑(ふそう)の木」が伝わったと考えている。(扶桑は古代中国で最古の地理書と言われる山海経 [せんがいきょう] に記述される太陽の昇る巨木とされる)この扶桑は調査で中国の沿岸で見られた日本の巨大噴火の噴煙と考えられる。そこから日が昇る光景を見たことから伝説化していったのだろう。この噴火は九州の縄文人が滅んだとされる鹿児島湾の「姶良(あいら)カルデラ」の噴火と見ているが、果たして見えるだろうか?時間あれば計算してみたい。



日本周辺の沿岸には海中に沈む石の構造物が数多く存在する。14000年前頃より始まった温暖化による海面上昇。これにより沈んだ遺構は少なくとも6000年前以前である。これだけ見ても世界文明の発祥以前となる。この遺構も吉野の石工が関わっているようだ。吉野石工はのちに穴太衆(あのうしゅう)として城壁の建設にも関わり今も続いている。



「海の民」の謎

地中海周辺の文明を終焉させたとも言われる「海の民」。
紀元前1200年頃、海の民の攻撃をラムセス3世が防いだとの説のある「デルタの戦い」は私の見方と異なる、ピラミッド建設などでエジプトとは友好関係を築いていたと考えていた縄文人であったが・・・
周辺国は大方人種は決まっており敢えて海の民と名ずけたことを考えると、周辺には存在しない人種で縄文人の可能性も考えたが、温厚な縄文人がそんなことするのか?との思いから考察は止まったままである。
「海の民」は調査により何か進展があれば改めて記述します。


総括

土器の始まりを持って文明の始まりとする説があるが、それによれば最古の土器の発掘例のある日本が最古の文明発祥地といえる。また文化面では古代中国でも伝説が多く残り、縄文文明の痕跡が見え隠れしていることを考えればやはり日本というより「縄文文明」が世界最古の文明と言えるだろう。



ファンタジー

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古史古伝の「竹内文書」から少しファンタジー色の強い想像をしてみよう。
イザナギ・イザナミの夫婦神の3代前に古事記にも記述されるオオトノジオウスメラミコト(竹内文書では大斗能地王身光天津日嗣天日天皇)の夫婦神がいる。このオオトノジオウが「天空浮舟」で万国巡礼をしたという記述がある。


また文書内にはピラミッドを思わせる記述もある。

日来神宮

この竹内文献の中に、問題の「巨石遺構」に係わる記述があったのである。

それは、竹内文献に伝わった「御神宝」の中の御神体石(ごしんたいせき)に神代文字で彫り込まれていた。


『イヤヨ月円(まど)六日、 吉備常根本国

 大綱手彦命天皇霊廟  亦ノ名メシヤ

 日ノ神月ノ神  造主神日来神宮』
 

私にファンタジーの神が降りてきた。
「天空浮舟」の飛行装置あるいはヒヒイロカネが関係するか? この装置なり物質がエジプトやメキシコのピラミッド建設に使われたのではと想像した。
ヒヒイロカネはアトランティスのオリハルコンではないかとも言われている。
この竹内文書(文献)は下手なSFを読むより壮大であり、すごい世界が詰まっている。
竹内巨麿の系統の文献は戦時中に空襲で失われている。再販された八幡書店の「竹内文献」は以前注文した時は予約が100冊に逹した時点で印刷を始めるとされ、少部数の限定出版であるので手に入り辛いかもしれない。もう一つ別系統の「正統竹内文書」が存在するがこちらは口伝で伝わっているためスピンオフ本しか出版されていない。
私は蘇我の系統であり、武内宿禰も先祖であるので手前味噌になりがちです。
竹内文書に関しては、否定意見も多く証拠が出るまではファンタジーと割り切って欲しい。


 

ナのサに消されてしまった画像
高架橋道路のように見える直線と、その上にはビル群のようにも見える物が存在する。               

NASAの元画像にマーキングしたもの
拡大とコントラスト調整以外は加工等は一切おこなっていません。
というか加工の技術が全くありません。

01

1) 日本人が世界最古の人類であると言われている、それを考察してみる。


参考文献
https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93D1b%E7%B3%BB%E7%B5%B1

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5257/

http://blogclub.livedoor.biz/archives/cat_50021776.html

まず第一に遺伝子からその説を補強してみたい。
ドイツのマックスプランク研究所のネアンデルタール人の遺伝子の追跡が挙げられる、古い人類ほどネアンデルタール人の遺伝子を多く残しています。

ここで旧来の前提を訂正しないといけない。
現生人類(ホモ・サピエンス)がネアンデルタール人を絶滅に追い込んだとの旧来の説は見直さないといけない。我々がネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるのは、共存している時期があった証拠であるし、決してホモ・サピエンスがネアンデルタール人を滅ぼしたわけではないことを認識しないといけない。

世界の各人種の遺伝子を調査した結果、世界で一番ネアンデルタール人の遺伝子を多く残しているのは日本人であるとの研究結果で、他の民族の平均に比べ5割多く残している、これををどう読み解くか。


第二に男性が受け継ぐハプログループDEの変異yap遺伝子がある。
ハプログループは、古い順にAからアルファベット順に割り振られる。
日本人はその中でも変異したyapの古い系統のD1b遺伝子(一部C1a1もわずかに確認されている)を最も多く残している。古いA,Bの系統は人類発症のアフリカの黒人に多い。
変異種の中で、D1b、C1a1は最も古い系統とも言える。中国、韓国などはO系統がほとんどでD系統は周辺諸国にはほとんど見られない。
このことも日本人は大陸、半島経由ではなく独自の系統であることの証拠である。
 ※これまでD2と表記されていた遺伝子は、系統樹見直しでD1bに変更された。



ネアンデルタール人の遺伝子には、日本人の中にも残る「うつ病気質」を多く残し、特に日本人は世界で一番多い、自殺率は世界でも突出している。

これは私見ですが、穏やかで自然崇拝な生活を送っていた縄文人が多すぎる人口を抑制させる淘汰遺伝子を持っていたのではと考える。ある試算では、今の地球人口は適正値(狩猟採取のみで生活できる人口)の2500倍にも膨れ上がったと言われている。
この想像の淘汰遺伝子がネアンデルタール人の絶滅と関連があるかもと妄想している。

余談ですが、一生命体と言われる地球に天候異常(特に高温化)、地震の多発が続くのは地球の免疫作用によって限界に達した病原菌(人類)を退治する現象なのではと思ってしまう。我々が感染症に罹患したとき発熱するのと似ている。

ヨーロッパに多く残るはずのネアンデルタール人の遺伝子が何故地理的に離れている日本人の遺伝子に多く残ったのかという謎は残るが、ネアンデルタール人の系統と言われる第三の人種デニソワ人の遺伝子が多く残ったのか?とも考えている。海を渡った可能性も考えたいがどうだろうか。

ハプログループによると、変異はサハラ砂漠が境界になっているようだ。
サハラ砂漠以南には、ネアンデルタール人の遺伝子はほとんど見られない。

D系遺伝子の近縁種でルーツを同じくするE系は、ユダヤ人のスファラディー(黄色系)に多く残り、このことで日本人との関連も言われているのです。
世界でD系遺伝子が確認されるのは、日本人、チベット人、アンダマン諸島、フィリピンのマクタン島、台湾の一部などの孤立した地域に見られることは大きな意味を持っている。
D1b遺伝子は、日本で誕生し38000年程経つと言われる。

この38000年前に何が起こったか。
この時期は氷河期の最中で大陸とは一部陸続きになっており、海面も120メートルも低かった。朝鮮半島とも陸続きになっていたようだが、古半島人のDE遺伝子は見出せない。これも不思議だ。サハリン〜北海道ルートは、デニソワ人との関連を考えると納得しやすい。シベリアのブリヤート人は日本人とよく似た風貌をしている。このブリヤート人に近隣国にはみられないD系遺伝子が見つかった。
このブリヤート人と縄文人は、共通の祖先を持つと言える。
この系統が北方ルートとみて間違い無いだろう。
これまでの学説では、ルーツを北方系、南方系と別々に考えていたが、南北が交雑したのが縄文人と見るのが自然である。
さらに最初期の人類を考えるなら、遺骨の研究から4万年前頃に南方から移住した人々と言える。

ブログ前号の言語考察で日本の言語の古いことは述べました。
世界に類似した言語が存在しない孤立言語である。
同じ意味を持つ単語は世界でもいくつかの国で見受けられるが、
類似した言語ルーツは見られない。
日本語は、漢字、ひらがな、カタカナで構成されるが、最初は音から発生し、のちに漢字流入で元々ある音に当て嵌めたようだ。その結果より複雑化したことは否めない。
日本語と同じ発音、意味の単語が多いヘブライ語は、古典ヘブライ語(聖書ヘブライ語)と現代ヘブライ語の2系統あります。
古典ヘブライ語はイエス・キリストもこの地域の共通語であるアラム語とともに使っていたと言われる古い言語で、約2000年前のディアスポラ(世界離散)までは使われていた。しかしその後も消えたわけではなく一部では生き残っており、その後の言語特徴を含みながら蘇ったものが現代ヘブライ語である。
この古い言語に日本語の影響が見られることは、日本と何かしらの繋がりがあったことの証しだろう。

日本に漢字が流入したことで、多くの意味を持たせられる便利な文字を容易く取り入れたことも日本人の多様性の一つだろう。それでいて中国語との共通点はわずかしかない。
日本語については、もっと深い考察を続けたいので続編もあります。

ここに一つ興味を惹かれる研究結果を見つけた。(ソースは確認中)
ユーラシア大陸とスンダランドを通じても氷河期に陸続きになったことはないオーストラリアで、1974年に先住民の人骨が発見された。後に年代測定を行なった結果、68000年前〜56000年前(それ以前という説もあり)の先住民のアボリジニの人骨であることが判明された。
つまり、人類が居住していた地域から船を利用して移動するしか方法はないのです。
この時代に海洋技術を持った人類がいたことは、ホモ・サピエンスの移動も考え直さないといけないだろう。
これを前提に考えるとハプログループDEの日本への到達も合点がいきます。

この時代はまだヨーロッパではネアンデルタール人の全盛期であり、ヨーロッパに現代人が住み着くより以前である。
出雲砂原遺跡では12万年前の石器が見つかっている。
これをどう解釈するか頭を悩ませたが、縄文人以前に日本に定住した人類がいた証拠であり、これはネアンデルタール人と見るほかなく、それが日本人にネアンデルタールの遺伝子が多く伝わった理由だと解釈できる。
下等と言われたネアンデルタール人の見方も大きく変わることでしょう。古日本人(縄文人)が太古より海洋技術を持っていたとの自説の補強にもなり、非常に興味ある点である。

これはこれまで南方系と言われた移住ルートです。
この南方ルートでネアンデルタール人が直接移住した可能性も見えてきたことは驚くことです。
デニソワ人の遺伝子を持つ北方系と交雑し、のちに弥生系の血も混ざった人が今の日本人につながると考えます。
ネアンデルタール人の直系の末裔かもしれない縄文人。今後もさらなる調査を続けたい。

まだ仮説の域を出ないが、
私なりに納得できた答えは、出雲砂原遺跡で見つかった12万年前の石器から、最初期の人類は海洋技術に長けたネアンデルタール人であり、さらにホモ・サピエンスとの交雑を経て縄文人になった。
そして、アフリカ北東部で始まったホモ・サピエンスのグレートジャーニーは,10万年前にアフリカを出発しているが、それ以前に全く別のルートで日本人が始まった。
これを今回の結論としたい。
ただ、ネアンデルタール人と分岐した初期のホモ・サピエンスの到来も否定できないので、考察は続けたい。

少しづつ謎も解明され、人類史の見直しも必要になってきた。
また新たな発見、研究結果を見つければこの場で追記していきます。

次号では、日本が最古の文明発祥なのかの説を考察して見たい。
ワクワクする夢のある話ではあるが、我々は他国に比べ優れているという奢りは持って欲しくない。