今日はケーキの日 | 化け猫の住処

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ホットケーキかな…

 

 

 

今日がパンケーキ…あ、いやいや

ケーキの日の理由は、お菓子屋さんである

風月堂が、明治12年の1月6日に

東京日日新聞に広告をうったからだとか何とか…

 

 

 

化け猫は九州なので、風月堂と言えば

神戸風月堂のゴーフルになるみたいですが

広告をうったのは、上野の風月堂みたいね

 

 

凮月堂(ふうげつどう)は、日本全国に展開している複数の洋菓子・和菓子のメーカーが称する屋号である。江戸時代中期、小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が江戸で開いた和菓子店を起源とする。明治時代以降、大住家からの暖簾分けが行われた結果、複数の会社がこの名を継承している。

凮月堂の名前のついた店舗は全国に多数あるが、必ずしも創業家である大住家(凮月堂総本店)の承認を得たのれん分けとは限らず、関係のない店舗が凮月堂を名乗っている場合も多い

 

…ふむ…。

 

 

1747年に、大坂から江戸に移り住んだ

小倉喜右衛門という人が、今の東京都中央区に

開いた『大坂屋』がルーツになるみたいです

 

風月堂の名前は、松平定信の雅号から

頂いたもののようですね

 

創業者の小倉喜右衛門には子供が無く

姪の恂(ジュン)を養女に迎え入れる

 

は、唐津藩の3代目藩主

水野忠光の側室とし、次男水野忠邦を産む

 

その後、恂は大坂屋へ戻り、

婿(2代目小倉喜右衛)を

迎え、大坂屋を継ぐ

 

水野忠邦は、後に、老中になり、天保の改革をする人

 

大坂屋は、息子である、水野忠邦に取り立てられ

諸大名の屋敷への出入りを許された

 

特に、松平定信(寛政の改革の時の老中)に

重用され、凮月堂清白の屋号を賜った

 

これを慶事とした、水野忠邦は

名書家として知られた市河米庵を招き、

白布に5文字の屋号を揮毫させ、

暖簾として喜右衛門に与えた

 

この時から、大坂屋から、凮月堂となった

 

ちなみに、几(かぜかんむり)に、百

 

風の異事体

 

音読み    フウ、フ
訓読み    かざ、かぜ、すがた、ならわし、ふり

 

環境依存文字らしいので

文字化けしちゃったら、ごめんなさい<m(__)m>

 

 

江戸の三大改革の内の

寛政の改革(白河藩 松平定信 暴れん坊将軍の孫)

天保の改革(唐津藩 水野忠邦)と

関係あるなんて、由緒正しいですね

 

ただ、風月堂総本店の店主は

代々、夭逝が続き、血縁関係があるのは

現在の、上野の風月堂だけらしいですね

 

5代目喜右衛門の時から、のれん分けを取り入れ

最初に、のれんを分けてもらったのが

現在の、両国風月堂

 

以降、神戸風月堂、長野風月堂、甲府風月堂なども

のれん分けして、現存している風月堂

 

銀座風月堂、東京風月堂は、最初にのれん分けされた

両国風月堂の経営者である、米津松造が開き

松造の次男に経営を任せたが、次男の養子の時代に

経営権を失い、他の人に譲渡された

これが、銀座風月堂

 

また、次男の養子(修二)が、再度、銀座で別の

『米津風月堂』を展開するも、破綻

これを、別の経営者が引き継いだのが、東京風月堂

 

創業時からの凮月堂一門とは別の流れの会社として扱われる

 

 

宮崎県にも風月堂と名乗っているお菓子屋さんが

あるのだけど、なんか、凄く関係なさそうね…(;^ω^)

 

 

 

チーズ饅頭で有名なんだけど…

 

宮崎の地方グルメ扱いだから

こりゃ、間違いなく、江戸の風月堂とは

何の関係もないな(;^ω^)