基本的にはテンションとか高いのですが、一回落ちてしまうとしばらくどうしようもない期間ができてしまう。
これは割と皆あると思うのですけどねぇ。
お久しぶりです、先日お酒飲んだ時にgdgdっと文章書こうとしたら何も思い浮かばなくてダメでした。
文章書くこと自体は好きだったんですけどね。久々に文章を書こうと思ってもかけない気分になってしまったのですね。
ここ最近ギターを弾かない理由も、歌わない理由も、文章を書かない理由も、何かを作るっていうことをしないのも、全て今の自分の立ち位置を把握してしまったが故なのかもしれません。
以前の自分なら誰が何と思おうとも我を通すクソガキでしたから。
こういって大人ぶっちゃってますが、個人的には昔の方がはるかに楽しかった自信があります。
勝手におセンチになってるんじゃないよとお叱りいただければ何とか這い上がれそうなんですけども、あ、いやMじゃないですよ?叱咤激励(使い方が微妙に違うけれども)されたいだけですね。期待されたいんですよ。

本音を話したりする場所がネットという自分の事をすべて知っていそうでまる分かっていないものに吐き出してしまうのも一端かと。動けなくなってしまった理由。
年数を重ねるうちにこの身に薄皮が増えていき、手足には枷が重く伸し掛かっているような気分です。
1年前とかまでは何も考えないでもこうして文章なんてかけたものですが、ここ最近は書こう!!と言って気合いを入れて書かないとろくに書けません。
所謂何かのプロでもなんでもありませんがスランプ、なのですかねぇ。
何をやるにも裏目に出る気がして動けず、何をやっても誰かから否定される気がして、卑屈になって行く。
コンプレックスの塊なんですね。自分。以前から知っていましたし、わかっていたことですが。
だからこそ褒められたいし、ちやほやされたい。実際その方がいい結果が出るからなんとも。普通の人ならそうか。

文章量的にはそこらのブログとここくらいでさして変わりはないとは思うのですが、いかんせん行間はなるべく開けずに書く癖、と言いますか、がついてしまっているので。実際きちんとしたレポートだったりそのようなものを書くときはスペースやら改行やらで稼げませんしね。
しかし、語尾をこうしてみてみると~~ですかね、と否定的な言葉が目立ちます。こういうところに人の癖と言いますか、文章の癖が出てきますね。ほら。
自己分析するに~~ねと使うのは他人からの目を気にしていたり、同意が欲しい、共感してほしいのです。否定的なのはもうその人の人格でしょう。否定してから肯定するからな。
精神論だったりする場合は文章を長くすることはなかなかに難しいですから。
情景であるならば割とごまかし、もとい詳しく書きすぎるに越したことはありませんからね。詳しく書きすぎて本論が見えづらくなってしまうのも小説などの一興。評論じゃだめだがね。
そういう意味では絵や写真、動画は非常に自分の見ている世界を表現しやすいものだと思う。
だからと言ってそれらが文章より下等なものだということはない、そもそもジャンルが違う。アクションか、ホラーか、サスペンスか、それくらい違う。表現方法という根本にあるものしか共通見解としてはないはずだ。

筆が乗ってくるとすらすら文章が出てくるな。
やはり何事においてもスロースターターなようだ。興が乗らないとやる気も出てこない。

明日は高校の同期と飲んだりうったり。お金がやばいのが心残りです。来月少ないだろうし。困った。
筆が乗ってきているのにここでおかせてもらおう、タイピングがつかれたのと体調が芳しくないから早めに寝るのだ。