、と。と と

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遺言書の切れ端

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頓服/とんぷく

症状が酷くなった時に服用する処方薬。

患者にとっては、応急対応用のお守り的存在。

社会参加を継続するためのセルフケアであり、バランサーとしても機能する。

 

そのため、服用後の診察時には

「症状が酷くなった」出来事と自身の気持ちの在りよう、

今後についてを医師の心理療法加算の場において、

全てを吐露・相談する。

 

私は、先日仕事でそれがあった。

出来事のあと、その翌日の出勤時と服用した。

私の頓服薬は「ロラゼパム1mg錠」抗不安薬。

日々の処方薬では、朝夕にも同薬1mgが出ている。

 

俺と仕事とシゴトのオレは、そーいうワケだがら。

管理職に詰められたけど、

的確に足元をみて、俺の能力評価と期待値の値踏みも伝わってきた。

 

自分を生きるために

殺す自分、逃げる自分、基本を維持する自分に分けて

自己価値と虚無性の天秤、気力と就労意欲の手入れを大切にしないと。

 

暗にそうしたメッセージがあったのかと・・・。

悶々としながら、頓服で幾分モヤが薄らいでくる中で振り返ってみる。

目と表情、語彙、口調、トーン、文脈から、

そうであったのか?と自己認知・自己理解として

ここに記す。

独語[どくご] ≠ 独り言[ひとりごと]

独語は、統合失調症をはじめとする幻聴への反応や発言を示す精神医学用語。

統合失調症を有する方、発達障害を有する方が共に過ごす場において、支援者はその語の扱いを区別せずに独り言と同様に記録に用いることがある。

その支援者については、独語という言葉に出会わなければ「独り言」と表記し続けたものと思われる。

 

迂遠[うえん]

自分の考えを詳しく説明しようと執着する。

回りくどい思考経過をたどる。

聞いている方は、疲れてしまう。

 

保続[ほぞく]

話題や質問が変わっても

1つの考えに執着して切り替えられない。

または、同じ発語が続く状態。

 

 

反すう思考[はんすうしこう]

発達障害を有する方に見られやすい思考特性。

過去にあった特定の嫌な出来事について、

当時の記憶と感情も含めて鮮明に思い出してしまう。

その都度、深く思い悩んでしまう。

 

心身の不調や疲労が引き金になることが多い。

自覚して相談するといった心身及び認知的な余裕が無く、

関心とエネルギーは自身の内面へと向いてしまうため、本人の自覚は乏しい。

そのため、家族や支援者に不調を伝えて予防するのは難しい。

 

落ち着ける環境で本人の気持ちの受け皿として、話を聞く。

信頼する他者へ発言する根底には、

辛かった当時の自分を慰めて欲しい・受容して欲しいという期待もある。

一方で依存や利己的な対人操作の場にはならないよう、

対話の先に現実検討を促す切っ掛けづくりを念頭に言葉を選ぶ。

発言内容を整理して、当時の気持ち、今の気持ちを確認する。

発言内容と関連付けた変化・成長した今の本人について、具体的に伝える。

本人への受容とこれからへの歩みについて、根拠となる事実と伝わる言葉選びをする。

ど、どうします?、ではない。

私は、こう考えます・思います。/こうしたいです。

○○さんは、どう思いますか?/どうしたいですか?

だろ。

 

仕事への緊張と対人不安、言語化と会話能力の乏しさ。

コダワリが強くて、聞けば意見を言えるのに

観測気球として、オープンクエスチョンを投げかけては、

その後の発言内容の準備に備えるのか?

それが、あなたの社会参加技術であり、精神防衛手段なのだろう。

 

先に他者の見解を聞いてから、

幾分安心した表情と声色になって語り始めるのに腹が立つ。

 

俺の中にもあなたのソレがいるのだ。

都度、同族嫌悪で苛立つのだ。

俺も精神防衛として、結果的に

あなたに先んじて提案と意見聴取のリードをせねばいかんのかね。

 

あなたは、俺よりも価値観の中に「植松聖」成分を残していることを不意に言語化したね。

高齢者福祉へ密接に携わる業務にあって、

シゴトの責任を果たそうと頑張るも、

利用者へ家族様への思いや熱量が感じ得ない。

業務を共にする同志でなくても『同僚』としての気持ちの悪さと不信感。

 

あなたは自分の給料を稼ぐために客がいる

という認識と生き方のひとなのだな。

その人の終末期に深く関わっている認識と責任は、見えないのだな。

例えばの話

心が動くと身体が動く
人が動くと人と関わる
人が動くとお金が動く

人の心が動くもの、
本能、欲求、自己実現。

人の心が動くこと、生きること
生きること、目的へと心と身体が動くこと。

道理や循環と思う。

個人の生きがい、生き方
商売の仕組み、チャンス
人と人との関わり、繋がり
社会とか国とか
ヒトから人となる証。

生きるとか、自然とか、地球とか



人間社会が地球の癌細胞だとして、
それが互いの軋轢と自然淘汰を生むとして、
食えない、住めない、生きられないと
生態系から逸脱した代償を生態系から受けるとして、
それでも人であるアイデンティティを無くして
ヒトに戻りたくない。

生態系に生きる生命でありながら、
自然界の道理と現実からの拒絶は、
生きる為の知恵を過ぎた人間界の構築と隔絶。
再び自然界の住人に戻る方が恐怖といえる。


生きているのは、まだいい。
それは救いだけど。

生きていくのが、
不安で、寂しくて、怖いのだ。

自分を嗜めるのも、
いなすのも、
誤魔化すのも出来やしなくて。

電子レンジの中で、
ジワジワと心と身の芯から熱死していく感じ。
仕事帰り、
現実を逃れるのに
発泡酒2本と肉まんでこと足りる。
コスパだけは良いのな。


作業療法士だけど看護協会に入会。
SNSに曝して、自分に逃げんじゃねーぞのファイティングポーズとか。

学びたいと、学べる機会は、出会いに等しく、時に容易ではなく、苦心することがある。
やっと出会ったのかね。
精神科作業療法を深める上で、看護協会の研修が楽しみである!

吹き込む、付き合う程に楽器→相棒→体の一部となり。
楽器と共に過ごした思い出や出会い、経験を含めると人間と変わらない感じもして。

見た目や憧れで手にしたしせよ、その後の付き合い方で相性が成熟していったり、自分の好みや魅力・個性に気付かせてもらったりと。

体の内から外へと己を吹き込む吹奏楽器は、弦や鍵盤とも違う繊細な親和性を感じられるんだと思っています。
他人のストレス、仕事だから聞ける。
仕事のストレスは、プライベートで発散&リカバリーする。

だからプライベートでまで、他人のストレスを聞きたくない。
なのに、プライベートでは、ストレスを吐露したい&共感(イイネ!)を得たい。

表出するとお互い様と思える。
しかしながら、分かっていても…の人情にSNSの機能が、自分の社会性&胆力を問うのね。
Netの利便性と即時性は、個々のメディア・リテラシーによる。

脆弱な心理状態にある人は、Netの機能と社会的認知に対して冷静な判断をする余裕はなく、刹那的にストレスへの対処として、露骨な感情の表出を行う。

俺は、自分への共感と理解を得たいと、セルフ・ポートレイトとして自己分析を書き記すのだが。
誰もそんな面倒は要らないし、疲れるだろう。
だから俺のフェイスブックには、反応が無いのかと毎度思う。

それも含めて、向き合う俺らしさを実感する点では自分を認めている。
中学生の頃から他者に紛れて、自分の意見や存在を示さない。
そのくせ、暇潰しに他人の陰口を言っては、踏み絵として希薄な交友関係を確認する稚拙な一面に嫌気を感じた。

自身の根深い不安とストレスに起因する発言、精神バランスを保つための補完行為と理解はするが。
汚い言葉、多様性のない排他的な言葉。
今の俺には、まだ受け流すとも、受容するとも出来ず、とても疲れるんだな。