久々のブログです。
現職の退職を決めた理由、仕事観など気持ちの整理をするために書いていきたいと思います。
横浜の地へ新卒でやってきてもうすぐ丸19年。
就職活動時にいくつかの求人をピックアップし、業務内容から一番希望していた会社へ最初に応募し、内定をいただく。
これが今勤めている会社です。
就職してから数年後、大量の派遣切りが話題になっていました。
学生時代の友人も派遣として某大手企業にて勤めていましたが派遣切りで正社員として別の会社へ就職していました。
そんな時代の中、入社一年目で感じたのは自分にはできることが少ない、会社に貢献できていないということ。
社会人になっても仕事の勉強、職場の人間関係の勉強・・・、色々と必要だなと感じ当時は仕事に関することを週末勉強していました。
興味があることについては勉強が好きなタイプなので苦と感じることはありませんでした。
仕事をしていく中で業務範囲が非常に広く、設計だけではなく試作品の製造であったり量産品の製造を行ったり、電気設計の話だけではなくソフトウェア設計の話、機構設計に関する話など開発の役割は意外と範囲が広く、初めてのことだらけで新しい知識を得るたびに仕事が面白いなと思っていました。ISO9001を取得してそんなに経っていなかったのかISO9001に関する決まり事には非常に厳しく、仕事のプロセスでどのように関連付けされ必要なのかを覚えるのは大変でしたが・・・。
ただ、面白いことだけではやはりありません。
学生時代に先生に言われたのは”技術は隣の人をみて盗め”でした。
就職してからとくにカリキュラムがあるでもなく文法本を渡され、”これ読んでやってみて”。
使ったことのない開発ツール、初めての言語でプログラミング・・・、慣れない操作を駆使してCADで電気図面作成。
その当時はCADはWindows版ではなくUnix版・・・。
質問しても”えっ、そんなこともできないの”くらいの感じの先輩・・・。
上司に仮眠室へ呼び出され、説教・・・。(1回だけ)
つらかったです。
でも、できるようになりたいという気持ちが強かったので何とか耐えていました。
そんなこんなで社会人1年目の年明け早々に上司に呼び出され別の部署への異動を言われました。
それが、今私が所属している部署です。
これを機に自分の人生が大きく変わっていきました。
もともと別の部署の方とも話す機会があり、異動先の部署の人たちと元居た部署の人たちでずいぶんと正確に違いがあるなと感じていました。移動先の人たちは私の目には”人間味がある”と・・・。
何か困って悩んでいると、”どうしたの?”と聞かれたり、作業がぎこちないと”こうやるんだよ”と実演・・・。
前の部署ではなかったことです。
ある日その当時の上司に質問しに行ったとき、”質問するときに自分の考え言ってくれない?”と言われました。
その時の教えは今でもしっかり続いています。
”責任は俺がとるから、考えていることを発言して実行してほしい”とその真意を説明され、それ以降上司への相談時は自分なりに考えた内容を伝え相談するようになりました。
最初の仕事は自社の看板製品の製造。
その当時、某大手企業からまとまった台数の発注があり、初めての業務内容で戸惑いながらも作業を行っていました。調整用のボリュームの微調整が難しく、大変だった思い出があります。
その次の仕事は先輩が担当していた特注システムのお手伝い。
ユニバーサル基板とジャンパー線で回路を当時は作っていて、入社した時に特訓していたジャンパー配線の技量はここで活かすことに・・・。”ジャンパー配線きれいだね”と言われあの時つらいと思いながら特訓していたことが評価されうれしかったのを覚えています。
そうやって先輩とシステムの仕事をしていきながらシステム関係の仕事の主担当になっていきました。
システム業務の次に取扱品でお客様から依頼があった大量の修理品の清掃と修理作業・・・。
これがきっかけで自分の部署で取り扱っているものに興味を持ち、他の人がやっているところへ色々教えてもらいに行くようになりました。
そして、その次は自社製品製造。
その当時主流だった製品の製造を行っていました。
別の上司に工程通り進んでいないとネチネチ1時間以上お説教・・・。
ただ、日々の業務の中で得られる知見はあり、上司が治せなかった不良品を私は”それ、原因わかっているので明日治しておきます”と言って対応しそれ以降ネチネチお説教はなくなりました。
この時は先輩や同期と休日出勤して仕事したり勉強したりしていました。
新卒だと開発ツール買うにもお金がなく、又、当時は高価だったので買うのが難しかったです。
やがて給料が上がって自分でも買えるようになり、グレードは低いものの必要なことはできるのでそれ以降は自腹で購入した開発ツールでプログラミングの勉強をしたりしていました。今は個人で勉強で使用するなら無料なので時代は変わったと改めて思います。
そんな感じで修理、製造、特注システムに携わりながら数年後、開発業務に従事することになりました。
この開発業務は今でもトラウマ案件です。
それは次の機会に。