ごあいさつ

 

私の家族は、大変教育熱心で、周囲から「お手本」と言われるような「親」であった。

 

私も真面目な良い子として学校や近所で評判の子供であった。

 

…しかし、そんな私は、現在「犯人」として慰謝料を支払う立場にあり、家庭を壊した悪の根源として家族から恨まれ、償いの日々を送っている。

 

典型的な”あの良い子だった◯◯ちゃんがなぜ…”である。

 

なぜそんなことになったのか。

 

なにがいけなかったのか。

 

どこで道を間違えたのか。

 

このブログでは、私が悪人になっていった過程を思い出し、ぐるぐるぐるぐると思考する中で思い至ったことを、ぽつり、ぽつり、と書いていく。

 

※鬱病以来、頭の一部が壊れているので、文章がおかしい部分はお許しください。

 

 

我慢が報われない

今回の話はまぁ、「娘」がいればだいたいどの家にもある話だと思うが…

 

我が家も例に漏れず、娘が中〜高校生になると、「娘にオトコができるのではないか」と親は戦々恐々としていた。

 

私はそんな気はさらさらなかったし、そういった”前科”があったわけでもないのに、なぜこうも親たち(祖父母含む)は毎日毎日ものすごい形相で「男の影」をチェックするのか理解できなかった。

 

もともと我が家が男性関係には厳しいことなんか分かりきっていたし、おしゃれなんかムダ毛処理レベルで禁止なのだから、オトコができるわけないのに。。。

 

それでも親たちは、毎日怒ったような表情で私に「そういうことが無いか」詰問した。

 

 

***

 

私は毎日、(逆に)目立つほど地味な格好をしていた。

 

周囲から「あなたの周りだけ、時間が戦時中みたい」と笑われるほどだった。

 

また、年配の先生からは「あなたを見ていると、私たちが女学生だった頃を思い出して懐かしいわ」と微笑まれた。

 

私自身、自分の服装がクソダサいことは自覚していたし、それを屈辱に感じていた。

 

 

それでも毎日、(同居の)祖父母がこれで安心するならそれでいいと自分に言い聞かせて登校していた。

 

 

どんなに私がクソダサい格好をしていても、やはり毎日祖父は私を心配した。

 

だから私は自ら輪を掛けてダサい格好をして言った。

 

「ほら、道ゆく学生たちを見て!みんな綺麗でしょ。お化粧している子もいる。私が一番デブでブサイクでダサいでしょう!!こんな私を選ぶ男がいると思う?」

 

そうすると、周囲の”シュッとした女子学生たち””もっさりし放題の私”を見比べて、祖父も安心したように「そうだ。そうだ。」と言う。

 

そんなやりとりを私たちは毎日続けていた。親を安心させる”儀式”のように。

 

自分で自分を貶めると、少しずつ心が死んでいく。

 

でも、それでいい。

 

家族が安心するなら、それでいい。

 

繋がった眉毛、毛深い腕をからかわれようが、ダサい服装を嗤われようが、それでいい。いいんだ。

 

…そう、自分に言い聞かせてきた。

 

でも、本当は毎日生きているだけで恥と屈辱にまみれていた。

 

悔しさと恥ずかしさと孤独が体から溢れそうだった。

 

本当に辛かった。

 

 

***

 

我が家において、私に”キレイな服装はさせない”というのはかなり徹底していた。

 

見かねた友人が誕生日にくれたワンピースには、母がハサミを入れた。

 

「おしゃれしたいという気持ちそのものが、本業(勉強)への浮気」だそうだ。

 

「ブスに着られたら、お洋服もかわいそう!色気づいた豚が。気色悪い。」

 

私が”キレイになりたい”という気持ちの片鱗でも見せたら、母は私を徹底的に罵った。あれは、まさしく”汚物を見る目”であった。

 

そうして、”キレイになりたい”という気持ちそのものを私の中から駆逐していった。

 

***

 

”キレイになりたい”願望を全力で抑える生活に、もうその気持ちさえ干からびてきた…あれは、私が22歳頃だったと思う。

 

忘れもしないある正月。

 

イトコたちが、祖父母に正月の挨拶にやってきた。

 

ついこの間まで”ハナを垂らした子供”だった彼女たちは、すっかり大人の女性になっていた。

 

祖父などは、口をあんぐり開けて目を見張っていた。

 

 

そこからはもう、「彼女らが綺麗になった」と言う話でもちきりで、大絶賛の嵐であった。

 

 

そして、その嵐が収まった頃…次は、私の親たちの中に怒りの波が沸き起こってきたようだ。もちろんその矛先は私に向かう。

 

お母さん、あんたが恥ずかしかった!と。

 

 

親たちは口々に、「お前、そんな格好していて自分が恥ずかしく無いのか!」と罵った。

 

そして、私の目の前に、怒号とともに一万円札を何枚か叩きつけて言った。

 

「これで、良い服でも化粧品でも買え!」と。

 

最後に、母がトドメを刺すように加えた。

 

「こんなことまで、親が面倒みてやらなきゃならないのかしらね。うちの子は。」

 

 

「女の子」は放っておいても自然に「女性」になるものなのに、うちの馬鹿は親が尻を叩いてやらねば化粧も覚えない…と、これまでの主張を180度転換させて怒っていた。

 

***

 

私はもう、何が何だかわからずに呆然としていた。

 

しばらく経ってから、悔しさと屈辱で嗚咽が漏れた。

 

 

 

 

人間が人間性を失って「悪」になっていく過程は、「絶望」と「屈辱」が積もり積もっていく過程であると思う。

 

ひとつひとつは、小さい。

 

人によっては、「3食食べれる幸せに比べれば…」と言うお決まりの台詞をぶつけてくる。

 

 

私が何年も何年もずっと学校でくすくす笑われるのに耐えてきた…あの時間は一体何だったのだろう。その報われなさに、精神の一部が崩壊した。

 

「絶望経験値」がまた私の中に少し溜まり、「レベルアップ」した。

 

 

こうして、じわじわ経験値が溜まり、レベルアップしていくと同時に人間性を失っていくのがわかる。そして、レベルが上がるとある日、人間でない何か真っ黒い魔物に「進化」する。

 

その時は「なんで、親にそんな酷いことができるんだ!あんた…あんた人間じゃないよ!」と言われるときなのだ。