「親からの比較されるのが辛い」のは自分の責任か

不特定多数の人間からレスポンスをもらえる相談・質問サイトにて、「親からの周りの子と比較されて貶されるのが辛い」というものをたまに見かける。

 

それに対して、

  • あなたの生活態度に問題があるのではないか
  • 親が認めるくらい勉強頑張れ

という回答がつくことがある。

 

それらは、場合によってはド正論の回答だろう。

 

身の回りのことを完璧にやって、家事も勉強にも自主的に取り組み、成績も良い…そんなティーンエイジャーの方が稀なのではないか。(というか、大人でもできていないor身の回りのことは奥さん任せの人多いような…)

 

ただ、正論を突き詰めたところで、苦しみは解決するのかというと、私はそうも思えない。

 

 

学年1位ならば他の子供と比較されない生活を送れるか

「比較されて辛い」のは本人のせい(自己責任)なのだろうか。

 

学年1位ならば、他の子供と比較されない生活を送れるのだろうか。

 

これに対して、私は言いたい。

 

比較する親は、子供がどこまでいっても比較するよ、と。

 

 

かくいう私も、「他の子と比較されて辛いなら、自分がもっと頑張りなさい!」と言われて育った一人だ。

 

学生時代の私は…

  • 中学は学年1~3位キープ
  • ほぼ皆勤
  • 部活や課外活動も頑張る
  • 学級委員も頑張る
  • 国立大合格
  • 1年アメリカ留学
  • 東大大学院修了

もっと言えば、出されたものは何でも食べるし、生活態度が乱れていたこともない。今でさえ、「もっと有給取得してください」と事務から通達が来るくらいには真面目に働いている。

 

それでも、ずっと「親から周囲と比較されて嘆かれる」状況は続いている(笑)

 

学年1位になれば比較されないか?

 

…否、1位になればもっとすごい子と比較されるんだよ。

 

 

勉強は勉強ができる子と、運動は運動ができる子と、ピアノはピアノができる子と…そして、「家の家事を全部やってる子」がいればその子と比較される。

 

全部1番になるまで比較は続くし、それは不可能だ。

 

私は、中学では多くの場合、「比較される側」であったと思うが、私の親の悲壮感といったら、学年最下位の子の親と同じくらい凄まじかったと思う

 

「うちの子は何にもできない…」

「うちの子は何にもできない…」

と怒り、泣き、そして苛立ちを家庭に充満させていた。

 

私は、「私なんかを子供としてもった親が惨め」「申し訳ない」といつもいつも思っていた。

 

授業参加の後、母は、

「どの子もみんな可愛くて、1つはキラリと輝くものがあるのに、うちの子にはそれがない。しかもブス…(←毎回言う)」と言って深いため息をついた。

 

 

東大に行っても「比較」から逃げられるわけではない

  • 海外のもっとハイレベルの大学に行った人間と比べる
  • 「早くに学校に見切りをつけて起業した同級生」と比べる
  • 「早くに結婚して孫の顔を見せた元クラスメイト」と比べる
  • テレビを付ければ、浅田真央選手や藤井聡太騎士など「異次元の人」と比べる。「おかーさんも、こういう子がほしかったなーーー」
    (心の声に留めておけよ)
  • AKBの子たちを見れば、「あんたより年下なのに、あんたより何倍も稼いでいるんだろーねーー」と嫌味を言う。

 

これが現実だ。

 

 

そりゃ人間、隣の誰かと比較すれば、自分の子が優れている面もあるし、相手の子が優れている面もある。だが、隣の芝は青…いや黄金に光り輝いて眩しすぎて見れない。

 

できないところをピックアップすれば、他人だって(その子供に)「そりゃ、あんた、もっと頑張りなよ!」と言いたくもなる。

 

でも、比較する親は子供がどんなに頑張っても比較するんですよ。

 

そういうもの。

 

 

そして、他人と比較しない親は、(子供の成績の良し悪しにかかわらず)しない。

 

 

だから、「あなたが、(親が比較してこないくらいに)もっと頑張れ!」というアドバイスは、追い詰められた心をさらに追い詰めるだけだと思う。

 

 

…最近は、「家庭も仕事もMAXで頑張る」ことに限界を感じて燃え尽きた私に対し、「女性CEOプライベートは3児の母」みたいな記事をわざわざ切り抜いて取っていおいて、恐ろしい顔をして叩きつけてきたよ。

 

 

アラフォーの今、思うこと

確かに、私は「比較する親」に対して不満を持っていた。

 

それは、言語化すれば、「頑張りに対して、承認欲求が満たされなかった」というだけのことだ。

 

「親に惨めな思いをさせてしまった」…その事実を、私は認めたくなく、逃げ、反抗までしてしまった。

 

今は、その事実を心から申し訳なく思う。