私は自分が憎い。心の底から自分自身が憎い。

 

私にとって、「私」は「親の仇」そのものだからだ。

 

「私」は家族を傷つけ、家庭を壊し、母の心を殺した。

 

私は私に死刑を宣告したい。

 

***

 

私が「私」であること。あろうとすること。

 

…そのことが、いつもいつも直接的に母を苦しめてきた。

 

 

青色が好きなこと。

 

ピンクの花柄は苦手なこと。

 

モノの少ない部屋に住みたいこと。

(だから、モノのストックを大量に送りつけないでほしいこと)

 

女性らしいファッションに興味があること。

(私は生物的にも女性である)

 

髪を伸ばしたいこと。

 

外に交友関係を持ちたいこと。

 

絵を描きたいこと。

 

ピアノは向いていないこと。

 

本当は運動も好きであること。

 

好きな異性がいること。

 

それらは、(人によっては”他愛もないこと”)全てが母を死ぬほど苦しめる。

 

 

「髪を伸ばしたい」ただそれだけで、10年以上大喧嘩を何度も繰り返してきた。馬鹿みたいだが。

 

 

私は、私の内から沸き上がってくる、どうしようもない気持ちが憎い。

 

スカートを履きたいという気持ちが憎い。

 

きれいな色の服を着たいという気持ちが憎い。

 

髪を伸ばしたいという気持ちが憎い。

 

 

喧嘩しても力づくて振り切って伸ばした髪。

…これが罪悪感の塊となった。

後悔に後悔を重ねてから切るくらいなら、最初から短くしておけばよかったのに。

馬鹿みたいだ。

 

バッサリ切るとき、身を着られるような喪失感があった。

 

世の中には、毎日お腹いっぱい食べられない人もいるというのに。

世の中には、学校に行けず働いて、家族の世話をしていう人がいるというのに。

 

自分はなんとくだらなく贅沢なことで悩んでいるのか。

実際に、「それが悩みだなんて贅沢だ。」と言われたこともある。

 

***

 

以前、「大学の友達の写真を見せてほしい」と言われたので、なんとなく懇親会の写真を見せた。それは実習後の懇親会での集合写真だった(すでに二十歳は超えていた)。

 

すると、親は悲鳴をあげた。

 

「…こ、ここに写っているのはビール……よね?…男性もいる……」

 

声が震えていた。

 

「男性がいるのに、アルコールが出る場所に行くなんて……!!!」

 

私は慌てて弁明した。

 

「いやいや、ここに写っているこの人は先生だよ!!大学の先生!みんな真面目で、やましいことは一切ないよ!!!!!!」

 

しかし、時すでに遅し。

 

同席していた祖母は泣いていた。

 

「真面目だった○○ちゃんが…お酒の席に行くなんて。男と酒を飲んでいるなんて……」

 

実際その”飲み会”は、大変真面目な会で、名実ともに「意見交換会」とも呼べるものでとても有意義な時間だった。参加動機も内容も問題ない自信があったので(まったく悪気がなかったので)私も動揺した。

 

母と祖父からどぎつく叱られた後、泣き腫らした祖母が言った。

 

「早く、いい子だった頃に戻ってね。」

 

心に刃が突き刺さったように感じた。

 

それは、「私」が刺したものだ。

 

私が「普通」に生活するだけで、私は家族をこんなにも傷つけるのだ。

 

***

 

私は、寮に隠し持っていたお気に入りの服を全部処分した。

 

きれいなものは母子センターに寄付した。

 

 

現在、(独立しているが)私は、無難なカラーのブラウスを穴のあくまで着ている。

服は「ユ○クロ」か「ワ○クマン」でしか買わない。

 

飲み会も同窓会ももうずっと行っていない。

 

 

***

 

私は、実に10年以上、「自分をとるか」「家族をとるか」というかということで悩んでいた。

 

あんなに、「家族をとる」と誓ったのに、就職して、また突発的に街へ出てしまう。

 

「自分の稼いだお金で好きな服を買って何が悪い!」

 

と、自分に言い訳をして服を買う。

 

そして罪悪感に苛まれてそれを捨てる。

 

そんなことを繰り返した。

 

自分のことを何か悪いクスリの中毒者のように思った。

 

 

***

 

当時は、自分が(客観的に見て)「悪いこと」と思わないことでも、相手を傷つけることがあるということを認識していなかった。

 

私は親を心の病気にするまで、それがわからなかった。

 

私は、「私」であるのと同時に、祖父母の「孫」であり、両親の「娘」だ。

 

「娘」や「孫」の挙動は、「自分がそれをつくった」と思っている親や祖父母のアイデンティティをときに傷つける。「自分はそんな風には育てていない」と。

 

私は勝手をすることは、たとえ法に触れなくとも、人を傷つける。

私は家族の心を守りながら生活しなくてはいけない。

 

自分の人生は、自分だけのものではない。

 

それがわかっているのに。

 

それがわかっているのに。

 

それがわかっているのに。

 

今、伸ばした髪を切れない自分がいる。

 

頭ではわかっているのに、心がついていかない。

頭と心が分離して、自分の中で、自分と自分が常に喧嘩している。

 

 

私の親を傷つける「私」は私の敵だ。

しかし、敵をこらしめると、鬱病が再発して迷惑をかける。

憎き敵と体の中で同居しているような毎日。

 

大好きな家族の幸せのために、消えてくれ。自分。