その努力、その一歩 | 和柄とパルクールとディズニーと

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かっこいい和柄と可愛いディズニーが大好きな、パルクールというスポーツをしているトレーサー(実践者)の日々を綴っている備忘録帖です^^

昨日、ある友人が、僕にこんな事を聞いてきました。(物理的な話ではないです)

少し要約しますが、今現在、自分と同じ道を歩いている人(達)がいて、実力も同じのときの場合

その人より、一歩前へ踏み出すにはどうすればいいのか。

つまり、どうすればその人(達)より頭を出せるのか、抜きんでることができるのか。

そんな事を聞いてきました。真剣に悩むのは分かりますが

彼は何か焦っているのでしょう、答えをいち早く見つけようとしています。

ですがそんな事をすればするほど、この類の解決策は逃げていくものです。

まぁ、その時はさらっと、僕なりに軽く助言みたいな事を言いました。

彼には伝わったのかは分かりませんが・・・・。

取り敢えず、その人のブログを、少しばかり拝見しました。

そこで少し引っかかった言葉がありました。

その一歩踏み出すのに対してだと思いますが

「努力は当たり前で土台」「問題はそれ以上のもの」(少し言葉を変えてあります)

それを見たとき、僕ははっきり違うと思いました。

まぁ、このような問題は人それぞれ答えがあって、一定したものはないけれど

取り敢えずここでは、僕の意見ををいいます。


確かに努力というのは、前提で土台と言う人が多いかもしれないけど、

僕の解釈は、ちょっと違う。

どちらかと言うと土台は、「努力」ではなく「頑張る」ということ。

そして努力こそがそれ以上のもので上位なもの。

つまりは、「頑張る」ということは、その課題(学問に限らない)に対して

ひとまず、解決したり完成させたりすることで、個々によって大きく違い、意見が分かれる。

「努力」というのは、課題こそ個々に大きく違っても、僕の考える「努力」は

継続すること。そしてこれに終わりはない。

だからと言って、努力の方がいいってわけではない。

「努力」と「頑張り」はイコールにに近いと言ってもいいと思う。

「頑張る」ことも「努力」することも、「そんなレベルの事じゃない」のようなことは

決してない。

逆に、努力する人や頑張(りき)れる人は、ホントに凄いと思う。

だって努力や頑張りが土台と言うなら、それがないと何もできない。

そしてそれら「努力」や「頑張り」さえ続けば、どこまでも成長する上に

一歩どころか、二歩でも三歩でも行けると・・・。

話は前後しましたが、僕はその友人に

その一歩踏み出す・一歩を踏み入れる勇気が必要だと言いました。

そしたら、勇気がない人達はどうするのか?

そんなことは、問題なのかな?と疑問に思う。

まず勇気とは何なのか?

僕の解釈では勇気=自信・自信=勇気そしてこれらは

努力とかと結びつくと思っています。

努力すればするほど、自信はついてくる ここで努力=自信

そしてその自信が勇気へとつながるここで自信=勇気

最終的に努力=自信=勇気となり、努力=自信=勇気=努力=自信=勇気=努力~と

無限に続くのではないかと思ってます。

だから決して努力は、前提にあらず(これは言い過ぎかな?)

努力こそが最上級なもの。

勉強も今まで、人によって程度は違ったり、遊んでたという人もいるが

何となくというのはけしからんが、それでも大学へ(勉強しに)行く人は

やはり努力してきたからこその、今があると思う。

極端な話、1+1=2と言う数式が、分かり切っているのなら

これは自信がある、という事になるのではないかと思う

これも努力なしでは、覚えられない数式だと僕は思う。

そして、例えば学校で1+1=?と聞かれ、分かり切っていれば

いくら、人前で発言するのが恥ずかしい人でも「2」

とはっきり言うと思う。

だが、分かっていなければ、このような人は、なかなか発言できない

分かっているからこそ、間違えないという自信があるからこそ

そういうのが恥ずかしい人でも、勇気を出して発言できる。

(伝える側も伝えられる側も)ちょっと難しいかな・・・

まぁ、いまや努力と言うのが当たり前になり過ぎているのか、

それを軽く見ている人がいるということなのかな・・・

当たり前だから、問題にすらならないと言うことなのか・・・・

ホントは、これ程すごいことはないと思うんですがねぇ。

「継続は力なり」とはよく言ったものです。

土台あってこその外壁、だけど外壁だけでは何もできない。

土台があるからこそ、そして崩れること無くその土台がより強固になるからこそ

その城は、より崩れにくくなる。

そうだ!すっごく簡単な例でいうと

五体満足で生まれ、今も自分の足で歩けてる人はなぜか。

それは、今まで自分の足で歩くということを努力して今まで歩いてきたからこその

賜物でしょう。

でもこれを人は、努力と言うのか。

「当たり前の事やん」と思うかもですが

これって、やめることもできるんですよ。

人は、その自分の足で歩かなくなるとどうなるか・・・・

足の筋力は衰え、ついには歩けなくなる。

はい、当たり前の事です。ですが努力しなければ歩けないということです。

ここでひねくれた答えをもう一つ。

絶対あるかないと決めて歩かなくなって歩けなくなった人も

努力して歩く力をなくして歩けなくなった。

これも努力のたまものです。

そして五体不満足で生まれた人

目や足や手が不自由な人、でも生きてますよね。

人の力も借りて、自分でも努力してますよね。

でもこのような身障者たちが、諦めたら?

努力とはそう言うものです。

じゃあ、無理やり話を戻して、抜きんでるにはどうすればいいのか。


「努力」って言うのは、ただ継続してれば努力と言うわけではないです。

どうすれば、さらに良くなるのか、さらに悪くなるのかを考えながら

時には成長し、時には衰退する。

よければ、さらによくできないかと考え、試行錯誤し発展させ

悪ければ、何が悪かったのかを考え、試行錯誤し、よくしていく。

言うのも書くのも簡単ではあるが、実践となると、これがどうしてなかなか

できないものである。

そして努力をやめると、挫折となる。

だが、また努力して這い上がれば、必ずどこかに希望はある

これが努力と忍耐力関係であると思う。

・・・・・・話がどんどん飛躍してこれこそ終りがなくなってしまうなぁ(笑)

まぁ、一言で言うと、「努力に勝るものは無し」と言う事です。


抜きんでたいと思うなら、「人が100の努力をすれば自分は101努力のを

人が千の、万の努力をすれば、自分は千一、万一の努力をすればいい。」

と言うのをよく聞きますね。


まぁ、一歩どころかそれ以上を目指すなら

人が100の努力をすれば自分は101努力と言わず、150,200の努力をすれば

いいんでないかなと思います。



ほんと・・・・言ったり書いたりするのって簡単ですね



最後に、僕は人には頑張れといわないようにしています。

もちろん、頑張ってない人には言いますけれど(笑)

理由は、その人は頑張ってるのに、また頑張れって言ったって

負担を増やすだけだからと思っています。

だから、正直言うと僕は、「頑張れと」と言う言葉はあまり好きではないです。

まぁ、僕に向けて言ってくれるのは、一向に構わないですけどね。

むしろ歓迎します(笑)

ただ僕自身、人に言うのは好きじゃないってだけです


では終わり。