子供のころ、家の裏にあるちょっとした林に、友達と「秘密基地」を作ったことがある。といっても、立派なものではなかった。拾った段ボールと、ブルーシート。落ちていた木の枝を柱代わりに立てかけて、風が吹けばすぐに崩れそうな即席の小屋だった。

でも、それがなぜかたまらなく楽しかった。秘密基地という名の「自分たちの世界」には、大人のルールは持ち込まれない。誰がボスかはジャンケンで決めて、お菓子の分け前は平等。枝の剣でチャンバラごっこをし、無意味に地面を掘って「ここに宝箱を埋めよう」と盛り上がる。冷静になれば「何してんだ、俺たち」と笑い飛ばせるような時間。でも、その空間は、間違いなく”自分たちだけの場所”だった。

秘密基地には、自由があった。創意工夫があった。笑いがあった。そして、ちょっとした誇りがあった。


我が家では、月に何度か「今日は手巻き寿司にしよう!」と、突如宣言が飛び出す日がある。
それはもう、お祭りの号砲だ。

食卓の中心には、大きな桶にたっぷり盛られた酢飯。周りには、ネタの皿がずらりと並ぶ。マグロ、サーモン、玉子焼き、キュウリ、ツナマヨ、納豆。気がつくと、子供たちが声をあげて好きなネタを取りに走る。

「私はネギトロ全部いく!」と長女。
「イクラ、最後に残しておいてね!」と長男。
「ちょっと待て!全部はダメだろ〜」と僕。
「まぁまぁ、落ち着いて。あとでまた補充するから」と妻。

カオスである。だが、それがいい。

手巻き寿司の夜には、笑い声と、ちょっとした小競り合いと、なにより“自由”がある。好きなネタを、好きなように、好きな量で巻いて食べる。ご飯の量も自分で調整できるから、欲張りすぎてすぐ満腹になることもない。自分のペースで食べられる。

ここには「値段」も「マナー」も「他人の目」もない。
寿司屋では、「ちょっと高いな…」と躊躇するネタも、今日は遠慮なく手を伸ばせる。サーモンを2枚重ねて、さらに大葉で巻くという贅沢技も、誰も文句を言わない。むしろ、「お、それ美味しそう!真似しよう!」と盛り上がる。


そう、手巻き寿司の夜は、我が家にとっての秘密基地作りなのだ。

準備段階からワクワクする。子供たちは買い物に付き合い、ネタを吟味し、海苔を切り、ご飯をうちわで仰ぐ。「今日はイクラ多めだね」「マグロがいい色!」とテンションが上がる。作業の一つ一つが、かつて秘密基地にブルーシートをかぶせるような、「これから始まるぞ感」に満ちている。

いざ宴が始まると、それぞれが自分のベストロールを求めて工夫を凝らす。ネギトロにきゅうりを添えてみたり、ツナマヨと納豆の禁断のハーモニーにチャレンジしたり。子供たちの目はキラキラして、思いついたアレンジを自慢げに披露する。

「見て、この“てんこもりタワー”寿司!」
「私の“3段ネギトロスペシャル”どう?」
「お前ら、ちゃんとご飯の量考えろよ、まだ半分残ってるぞ!」

笑いながら、ご飯の減り具合を気にするのも、ある意味での“戦略会議”だ。桶のご飯が空になるその瞬間まで、みんなが同じ目的を持ち、協力し、競い合う。そして、食べ終えたあと、誰かがつぶやく。

「ふう、お腹いっぱい!けど、めちゃ楽しかったね」

これが、何にも代えがたい幸福だと感じる。


かつて、ぼくたちは秘密基地を作っていた。
段ボールとブルーシートと、ちょっとの想像力。
見た目はしょぼかったけど、「ここ、最高じゃん!」って本気で思ってた。

いま、家族で囲む手巻き寿司は、あの時とちょっと似てる。
完成されたものじゃない。自由で、ちょっとカオスで、でも笑いがあって、
最後に「なんか今日、良かったな」って思える場所。

ネタを選ぶワクワクとか、わざわざご飯を控えめにする謎の駆け引きとか。
全員で桶のご飯を空にしたときの「やりきった感」とか。
そういう小さな喜びが、じんわりと心に残る。

だからたまに、なんとなく思う。
「よし、今日は手巻き寿司にしようかな」って。

それだけで、ちょっとだけ元気になれるから不思議だ。