根拠のない自信がホントの
自信なんじゃないかと
ずっと感じて来ました。
落ちこぼれていましたし
他人に見え、認識される
様な成果もありませんので
社会的根拠のある自信を知らない
だけなのかもしれませんが。
もし自分を信じるのに
根拠がいるのならば
ほんとは自分を信頼していない
と言う事にもなるのでしょうか?
もちろん具体的能力に対する不安とか
とは違う層の話をしています。
根拠とは客観的な説得力
があるものですが
自信は内側で自分だけに発見
されるのを待っているものです。
根拠なき自信が
ホントの自信って、
それに語弊があるのなら
存在としての信頼感とでも
肯定感とでも言えば良いのでしょうか?
例えば私は去年突然ブッ込まれて
占星術の講座をしました。
私は占星術師でも無いし
趣味で自分の出生図を見てた程度。
もちろん
今まで他人の鑑定どころか
不特定多数の前で話した事
さえありませんでした。
なのに突然頼まれて当日会場
行ったら80人ぐらいいました。
占星術の世界は際限のない情報量で
マニアック中のマニアックです。
自分よりうんと詳しい強者も
沢山いるのが当たり前。
見透かされるのは時間の問題、
でもハラを決めてやれました。
緊張も大してしなかったですし
不安もクソもありませんでした。
自分の全体験を総動員すれば良い、
と自然に思えました。
ただ、エネルギーの質とやり取りがエグすぎて
その後二ヶ月ほど死んでましたが。
難しい事を言い出せば
色々な事が言えます。
努力や実績の積み重ねない
自信なんて虚しい戯言だ
と言う人には
言わせておけば良いと思います。
でも逆に
努力してるなんて
感じていないのに
自信があるとしたら
それ、不自然なんでしょうか?
そもそも「自信」の定義からして
違うかも知れませんね。。
自我が肥大化した万能感で
増上慢になる様なイメージとか?
自分は自信ってフツーに自分を
信頼するって言う意味で言ってます。
凄い人や上手い人がいる事なんて
この世では当たり前です。
でも
才能ある人とか何かにコミット
出来る環境にいる人だけが
自信に繋がれる切符を持ってるんですかね?
そう言う人は皆んな自信満々なんでしょうか?
病気の人だって貧乏で暇の無い人だって
毒親のトラウマに殺されそうな人だって
なんとか生き延びてるんだし。。
人それぞれなので
正しい答えはありそうで、、
でも、よく分からないし
知りたいともあまり思いません。
そんな事よりも
本当にそれを
思い出したのなら
根拠なんて事どうでも
良いと感じて来ます。
はっきりしている事は
自信がない!が表層で
何故か自信に満ちている
のが深層と言うか
それそのものと言うか、、
とにかくそうなってます。
自信もなくて、学歴も実力も無くて、
家柄も悪くて、ホントはショボいのに
大丈夫ぶって、、、
こんな自分やっぱダメだっ!!
ってちゃんと思えて
誤魔化さずにちゃんと転げ落ちると
一番下の下の下の方に
何故かなんとも言えない深い自信が
待っているものです。
もちろん
全方位自信満々なんて
あり得ませんけれど。
でも
自分にとって
一番大事なところを
未だ大切にしているなら
根拠なんてあまり
気にしないで
根拠なき自信に繋がる許可を
出しても良いんじゃないかな?
と感じています。
それが出来るのは
自分だけなのですから。