東京墨田区にある「木母寺」。能「隅田川」で人買に拐われ下る途中、12歳で無念の死となった梅若丸の塚のあるお寺で法要、講談。そして能「隅田川」の素謡が今日行われ、私はワキで出演させて頂きました。
























梅若塚です↑



明治時代の実業家、田中平八の碑↑










戦災から逃れることが出来た御堂です↑


1945年(昭和二十年)4月13日、米軍機の空襲を受けて寺の本堂は焼失。しかし周囲が焼け野原になる中、奇跡的に梅若堂だけが、爆弾の断片によって損傷を受けながらも立ち残っていたという。

1976年(昭和五十一年)に白鬚防災団地が作られる際に、防災拠点内の木造建築物は許可されず、現在地へ覆堂を作って移転した。


向かって左が梅若丸↑





身代わり地蔵尊↑ 身代わり地蔵とは、信者の苦を代わりに受ける、または危難を被る信者の身代わりになってくれる地蔵の信仰です。


桜はもう散ってしまってますね↑


蛇観音様  脱皮は新たな生まれ代わりを、自分の尾をくわえた蛇の輪は、永遠の循環を象徴する。




高架高速道路の直ぐ側にあります↑


🔵舞台設営🔵




🔵木母寺内展示🔵



明治32年↑









🔵木母寺周辺探索🔵


木母寺近くの団地をくぐる門です↑




榎本武揚は幕末から明治にかけて活躍し、晩年は向島で過ごしました。彫刻家・藤田文蔵(ふじたぶんぞう)の作。大正二年(1913)の造立↑



🔵梅若公園にある梅若塚🔵






梅若塚はもともと梅若公園の所にあったそうです↑↓


右奥の石塔が現在ある梅若塚跡↑






🔵お昼のお弁当🔵




🔵法要🔵






🔵素謡を終えて🔵



前列お二人が梅若丸を勤めて下さいました↑


🔵大護摩供🔵







🔵隅田川絵巻(レプリカ)🔵















木母寺ホームページより↑


🔵最後に🔵

来年お返しに伺いたいです↑






⭐️素謡というのは初めてでして、ましてや大曲「隅田川」の素謡ですのでかなりの緊張でした。梅若丸の塚があるお寺で「隅田川」の素謡に出演できたことはとても光栄なことです。法要、素謡、大護摩供ととても良い体験をさせて頂きました。有難う御座いました⭐️