細工は流々 | 大石眞行の玄学ライフ

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大石眞行が占いの観点から日常を観察します。

随分前から「占いとは象徴解釈の体系である」と言い続けている。

講義でも取材でもそういってきたのだが、最近改めて

「象徴」

「解釈」

するということの意義や難しさを実感するようになった。

解釈というのは思い付きを好き勝手に垂れ流すことではない。

象徴から意味を汲み取ることであり、象徴に意味を与えることである。

本当にミューズがディテールに宿るのなら、ディテールの欠片からミューズの全貌を描き切るのが解釈であろう。

占いにおける象徴とは圧縮データのようなものだ。

言葉には限界があるから象徴を使うのだと繋辞伝も言っている。

であれば解釈とは圧縮データの解凍作業のことであるとなるだろう。

占い師という語り部の自分語りや説教などどうでもいい。

忠実に解凍されたデータを読み解くだけだ。

しかし解凍してみたデータが唐人の寝言ではどうしようもない。

占いがよって立つ象徴体系にもピンからキリまであるのだから、できるならばより精緻で高度な体系に基づく象徴を扱いたいものだ。