※お知らせ※

2024年より、「ふさやん」に名前を変えて、発信していきます。どうぞよろしくお願い致します♡

 

こんにちは。

 

カウンセラーのふさやんです。

 

 

たとえば、いじめなどで学校に行けなくなった。

学校に行けない理由は、その少年少女たちの数だけあるんだろうな、と思います。

 

辛いから、逃げよう。

いいと思います。

 

さて、ここからは、私の小学生・中学生時代をふり返らせてくださいね。

 

幼稚園で友だちが出来なかったやまちゃんは、小学校に入学しても、なかなか友だちらしい存在が出来ませんでした。

グループで調べてきてください、という宿題が出されても、誰とやったらいいのか分からなく、一人だけで調べたり、何も提出しなかったり(出来なかった、わけですが)。

 

他のクラスメイトから見たら、「触れないでおこう」という空気に包まれたようなタイプの児童でした。

誰かに選ばれるようなタイプではなかったですし、そもそもいるかいないのか、分からないような子でした。

まあ、私自身、自分から話しかける、ということもしなかったですし。

 

クラスの中で「仲間」「グループ」に所属することはなく、一人で過ごすのが当たり前。

そして、クラスのなかで主導権を握りたい気の強い人たちから、かなりいじめに近い嫌がらせ(いじめだったのかは、未だに分かりません)を受けました。

たぶん、向こうは、私が反撃しない確証があったので、イジメている実感もなかったのだと思います。

 

 

今、思い返すと、どうしていいのか分からなかったような気がします。

幼稚園では、誰かと話をしたことは殆どなかったですし。

 

私の実家は、そんなに裕福ではありませんでした。

でも、両親は一生懸命共働きでお金を稼ぎ、教育だけは不自由な思いをさせたくない、という考えを持っていました。

 

ですが、長女がとても個性的な性格で、勉強よりも自分のやりたいことしかやっていなく、困った両親は、長女に学校の成績を上げてほしくて塾に入れました。

でも塾に入った途端、長女の成績はうなぎのぼり。

それで、塾の先生から「私立中学を受けてみませんか?」と誘われたのです。

 

私立中学って何??と全く知識のなかった両親は、悩みに悩み、結局、受験することを選ぶと、長女は偏差値の高い私立中学にいきなり入学しました。

続いて次女も、有名な私立中学へ。

というわけで、私立中学は勉強をしたい人が行くところなんだ、と私は理解していました。

 

そんななか、私が5年生くらいの頃、母親が大きな手術をすることになり、入院をしました。

私の育った家は歪な家庭環境だったので、母の代わりに家事を三人で分担しよう、ということになりました。

 

 

手術後も、母は入退院を繰り返しました。

もともと体の弱かった母のことやお金のことを考えて、私は給食のある公立中学への道も考えました。

 

それに、当時、習い事(ピアノ・書道)をやっていたうえ、小学校の放課後に毎日練習があるブラスバンド部に入っていたので、充分に勉強時間が取れないということは分かっていました。

それでも、結局、6年生直前から進学塾に通い始めました。

 

さすがに夏休み前になると、夏期講習などでそれなりに勉強をしなくてはいけなかったので、ブラスバンド部&書道はやめて、ピアノだけは受験が終わったらまた通うことにしました。

 

中学受験をすることになっても、家事をやることは多かったように思います。

 

というわけで、一生懸命に受験勉強をして、夜食は親が作ってくれて、なるべく偏差値の高い中学を目指す、というありがちな中学受験生の経験はしていません。

 

そもそも、偏差値が何なのか、分かっていませんでしたし……滝汗

 

 

私の家は、東京でも下町にありました。

そもそも、通学していた小学校で、当時、私立中学へ進学する児童は、120人くらいいる一学年で10人もいませんでした。

 

家にお風呂のないクラスメイトも沢山いました。

銭湯もそれなりにあった時代。

運よく、我が家には、お風呂がありましたが……。

 

最寄り駅の近くには、小さな呑み屋がひっきりなしに並んでいました。

酔っ払いのたまり場でした。

工業地域だったこともあり、光化学スモッグが発生する回数も多く、夕空の色が、たまにピンクだったり紫色に染まったりしていました。

公害、というやつですね。

 

私立中学に進学すると、とてもビックリする場面に、何度も出くわすことになりました。

 

友だちの家に遊びに行けば、都心の一等地にある一軒家の窓から東京タワーが見えたり、ブランド物のマフラーをしている人のほうが多かったり、一緒にお出かけするときの洋服は、私が小学校の卒業式で着た服よりもずっと高価なブランドものだったり。

 

中学では、それまでの生活レベルが全く違うクラスメイトのなかで、肩身の狭い思いをしました。

でも、両親が一生懸命貯めてくれたお金で勉強する機会を与えてくれたのだから、ガンバロウ!

そんな風に考えていました。

 

でも、クラスメイトたちとの付き合いは、やはり苦手で。

 

一部のクラスメイトから生活レベルの違いでバカにされるようになり、仲間外れにされるようになると、仲の良かった人たちもすぐに離れていきました。

 

それでも、しぶとく高校三年生まで居すわり、卒業式を迎えることが出来ました。

頑張りました、本当に笑い泣き

 

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この経験で痛感したこと。

 

私は、一方的にいじめらる状態に甘んじていたわけではありません ← 強気 滝汗

でもそれは、イジメっ子相手に抵抗した、というわけではありません。

 

イジメが始まってから、いじめっ子に責められても、だんまりを決め込んでいました。

なるべく関わらないように、そのへんは気をつけました。

 

ときには身体が震える、とか、疲れた、とか、もう学校に行きたくない、と思うこともありました。

「死にたい」と思って、死に場所を探したことも一度や二度ではありません。

 

 

それでも、両親には何も言いませんでした。

答えは明快、心配かけたくなかったのです。

親が、尋常でないストレスを抱えていて、それらに押しつぶされてもおかしくない状態にいることは分かっていたので、絶対に知られるわけにはいかなかったのです。

いい子だった、というわけではないので、お間違えなく。

 

というわけで。

なぜ彼女たちは、こんな「無視する」「根拠のないうわさを流す」といったようなイジメを学年が変わるまで続けていたのだろう、という「理由」を考えることに時間を割きました。

 

イジメのリーダーに、金魚の糞のようにくっついてイジメてくる人は、大した理由がないと思っていたので、中心メンバーの立場になって、色々と思いを巡らせました。

 

たった一つだけ、確実なことがありました。

私は当時、人間関係の構築の仕方をまるで分かっていなく、どう友だちと接すればいいのかを理解していなかったのです。

 

そのため、反応や考え方や行動が、他の人と少しずれていました。

いい意味でも悪い意味でも、「変わり者」だったのです。

 

どう言えば相手に気持ちが届くのか、誤解はどうして起きるのか、なぜ気がつかないで傷つくようなことを言ってしまうのか……。

それらのことを、それまでの経験で得てこなかったわけです。

つまり、コミュニケーション障害などの部類ではなく、ただ単に、自分の社会性に問題があっただけでした。

 

イジメの中心メンバーから直接、話を聴いたわけではありません。

でも、もしかしたら、家庭で何か問題を抱えているのかな?という可能性を感じるようになりました。

根拠は、私自身が、自分の家庭のことで、解消できないほどのストレスをためこんでいたからです。

 

ストレス過多になると、人は表情を変えてしまいます。

イジメられるようになってからずっと睨まれていたので、確証はありませんが、表情がきつくなった印象を受けたのです。

彼女は他人を「イジメる」ことで、自分自身を保っていたのではないか、と。

(私のせいで、顔つきが変わった可能性大ですけどね ……ゲッソリ

 

家で逃げ場や居場所がなければ、人によっては自分ではなく、他人への攻撃性が高まってしまう。

 

だからといって、イジメを肯定することは絶対にしません。

 

〇●〇●〇●〇●

 

不登校問題に戻ります。

 

通学できなくなり、一番困るのはたぶん、勉強ができないとか、そういうことではなく、社会性を発達のスピードに合わせて身に着けられないことだ、と思います。

 

はっきりいって、18~20歳くらいまでは、発達段階から考えて、子どもという認識で話しても差し支えないと思っています。

 

赤ちゃんのときは、親との関係。

少し大きくなったら、親以外の、例えば親類との関係。

小学生なれば、その小学校に通ってくる地域に暮らしている子たちとの関係。

中学になれば、それまでよりもずっと多くの人たちとの関係。

そうやって、人は社会の範囲を大きくしていくのです。

 

私は、社会性を身に着ける方法を間違えたことで、人間関係に大きな摩擦を起こしました。

そのことは、その後の私の人生の中で、とても都合の悪いことを引き起こすきっかけにもなりました。

 

 

社会性は、すぐに身につくようなものではありません。

机に向かって、学ぶものでもありません。

身をもって経験していくこと、これしか方法はありません。

 

そして、学校(公立)に通うことによって、社会には様々な環境下で暮らしている人たちの存在を、知るきっかけにもなります。

 

 

ですから、できるなら学校に通ったほうがよい、というのがやまちゃんの個人的な考えです。

学校にいかないのであれば、学校に代わる、社会環境を年齢と共にだんだんと大きくしていくような生活を過ごすのが、理想的だと思います。

 

 

もし、社会性を身につけていないと、どうなるか?

大人になっても、他人と接する生活をひたすら避けるようになったら、たぶん一人では生きていけなくなります。

 

人に対して、必要以上の警戒心や恐怖感がわく可能性大だからです。

 

そして、自分の考えに固執し、柔軟に物事をとらえられなくなります。

 

想像してみてください。

 

もしあなたが、1週間もの間、自分の部屋から全く出ず、そして誰にも会わずに過ごし、さらに誰とも会話をしなかったとしたら……。

 

今までと全く変わらない気分で、他人と話せたり、外出できたりできるでしょうか?

引きこもりが、一年、二年、と続いていったら、どうなるでしょう?

 

これは、私の結論ですが。

困難にぶつかったり悩んだときに、声に出して誰かに「助けて」と言えなくなります。

 

引きこもりが悪い、とは思いません。

そういう時期って、人なら、あるかもしれないですし。

人によっては、エネルギーをためる大切な時期にもなりえます。

 

でも、引きこもった状態で放っておくと、日常生活に支障が出てきて、困り果て、自分を責め、メンタル疾患になる可能性も高まります。

また、SOSを出せなかったばかりに、最悪な結末を迎えてしまこともありえます。

それはとても悲しいし、切ないことだと思います。

 

 

もし、子どもの引きこもりが何年も続いて、「これからどうしていいのか分からない」とお困りの親御さん、早めに誰かに「助けて」をためらうことなく声に出して言ってみてください。

 

「いつ、通学してくれるようになるだろうか?」

終わりの見えない生活に、疲れ果てることもあるかと思います。

 

そんなときは、

変わるきっかけがくる瞬間を、とりあえず待ってみる選択

をしてみるのもいいですね。

意外と良い結果が得られるかもしれません。

 

「時間」は使いようによっては、よい協力者になってくれます。

 

相談先は、学校関係者でなくてもいいのです。

信頼できる(できそうな)人に、何もかも吐き出してみてください。

大切なのは、孤独のまま問題を抱え込まないこと。

意外なところにヒントがあるかもしれません。

 

何か、行動しようと思えるときは、ほぼ、どうにかなります。安心して下さい!

 

問題の解決法は、一つでないこともお忘れなくニコニコ音譜

 

そういえば、とても心が辛いときや、無気力で押しつぶされそうになっているときって、3分くらいのストレッチでも、気分転換が出来たりするものなんです。

 

体を動かすこと、意外に効果あり!です。

 

ラジオ体操も、だいたい3分くらいだったような気がします。

 

今回も長くなってしまったブログを読んでくださり、

ありがとうございました音譜ドキドキ